2010年08月31日(火) |
*八月の終わり、今日の終わり |
八月がまた今年も往き過ぎる。
夏の終わりというにはまだまだ暑すぎて でもそれでも暦は確実にめくられていくわけで。
今日を生きるということの 命というものの 尊い重い意味と 儚さ脆さあっけなさ
この矛盾する二面は でも人そのもののように 陰陽・裏表
けど 何が陰で陽なのか どちらが裏で表なのか。
命は重い 命は軽い。
吹けば飛ぶような儚さに気づかずに 生きていくことができたら もしくは儚さを知りつつも それから目を逸らさずにいられる しなやかな強さがあれば もう少しわたしは違った景色をみることが できたんじゃないだろうか
なんて 戯言を うわ言のように 此処に書いてみたり する。
なんて重くて なんて儚い 胸が詰まって喉が塞がれて 声が 出ない よ。
夏は暑くて苦手というより苦痛、嫌いなんだけど、 何処かいつも失くした懐かしい子供の頃の景色を思い出させられる。 瘡蓋になった傷痕を剥がす時のような 甘やかな痛み。
あったはずのものとか できたはずのこととか
積み重ねた年月の中に置いてきてしまったもののことを ふと 思い出して泣きそうになる。
なりたかったけどなれなかったのは 結局 なろうとしなかったからだろう。
それなりにそのときそのときを 精一杯生きてきたつもりだったけど 結局 空っぽなんじゃないだろうか。わたしは。
考えすぎないこと。 むしろできるだけ感情を閉じ込めて考えこまないこと。 特にこんな夜には。
往こうとしている懐かしい目をしたあの夏に
目隠しされて 包まれて
連れて行かれないように。
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