犬派か猫派かと聞かれたら迷いなく犬が好きと答える。
元々、実家では犬を飼っていたし、性質的にもしっくりくる。
子猫なんかをみたりすると普通に可愛いとは思うんだけど 今ひとつ感情移入できない。どちらかというと苦手かも。
亡夫の実家が猫を飼っていて、実は猫の毛アレルギーのわたしは 行くたびにクシャミと鼻水、止まらない涙と目の痒みに 悩まされていたのもその原因のひとつ。
元々猫は家の中で飼うものだから仕方ないとはいえ 結婚してから行くたびに諸症状が出ないことがないくらいだったのに 義母から毎回言われるのは「**さんは風邪を引きやすいみたいね」
ん〜そうきましたか〜というのが正直な感想だった。 婚家の家風というのが相手の立場に立って察する というよりも 言いたい事があればはっきり言わないとわからない というものだったので 「いーえ!お義母さん、これは猫の毛のアレルギーなんですよ」 と はっきり言ったほうが良かったのかもしれない。 けど まだ初々しい内気な?若妻だったということを差し引いても 文字通り舐めるように猫かわいがりしている相手に それが言えるはずもなく。
でも嫁でいる間は頑張ったんですよ。ワタクシ。
まぁ でもそれだけで何事もなく過ぎていたら 猫に対する苦手意識がトラウマにまでなることはなかったのかも しれないけども。
やっぱりお通夜、お葬式、四十九日の一連の騒動がねぇ。 言いたいことをただ考えなしにいう のと 場をわきまえてきちんと伝えたいことを話す と いうのは違うと思うんだけど そこが理解できない人たちだったことが はからずもあの時、最悪のタイミングで露呈した。
嫌なことは嫌と感情をはっきり出すこととか 自分がしたいことして欲しいことをはっきりと伝えるとか それは悪いことじゃないと思うし 形に囚われず生きることは 自分にできるかできないかは別としても 目からウロコって部分もあったのに。
でもそんな猫の生き方してきた人たちが急に化け猫になっちゃった。 拘らない執着しないといっていたモノに悪鬼の形相でしがみつき 罵詈雑言の数々。。その豹変にあっけにとられた。
ニンゲンなんだからそんなにひょいひょいといけるばかりでは ないはずなのに、アノヒトたちは余裕のあるときには いかにもそれがスマートな生き方のように涼しげに ツンとすまして歩く。
彼らからすれば愚鈍にみえる犬の生き方を上から目線でみて そうしながら でも思うような反応を相手に望めなかった時に 彼らの自由に誇り高かったはずの仮面はずり落ちる。
猫の何を考えてるかわからないところが怖い。 一転するあの恐怖 爪のスルドサ
わたしは猫ほど軽やかに自由に人生を泳いではいけない。 でも犬ほどにしっかりと迷いなくその道を踏みしめられない。
結局 わたしは イヌコ なんだ。
犬ほど穏やかに一途に一心に信じる心で駆け抜ける力もなく 猫のようにきままに自由にわが道を行く軽やかさもない
中途半端で 基本は イヌ で ネコ のしっぽといつもは隠しているツメだけついている。
イヌの中の異端児 ネコの中の落ちこぼれ
ああ・・・この頃 ほんとに蒸し暑い。
薬を飲んでも眠れない夜には 氷枕のひんやりした感触に頭を乗せて
昏い夢のなかではイヌコになって 風を切ってどこまでもどこまでも 走っていく。
ゆうなぎ
|