「籠の鳥」/ 歌 加藤登紀子
もう一人の母のような存在だった。
今 祖母の時間はその最期の時へ向かって ゆっくりと流れている。
彼女の意識は既にほとんど無い。 点滴からの水分と栄養が 命の灯火をかろうじて灯しつづけている。
人様からみれば 充分過ぎるほどの年月を祖母は生き抜いてきた。 大往生といえる年齢。
いつか誰もが往く道。 それが遅くとも早くとも。
それでも 心は散々に乱れる。 押し殺した悲鳴と血の涙を流し続ける。
もしかしたら、万が一にでも希望を持てるのなら どんなにいいだろうか。 願い祈ることに託せるなら それが奇跡という名でも。
ただ砂時計の砂が落ちていくのを 成す術も無く見ているしかできないのは 身を裂かれるように辛い。
夫の時もそうだった。
確実に迫り来る その瞬間 を 見届けるという役割の残酷さ。
またわたしは見送らなければならない。 逃げ出すことも目を逸らすこともできない。
いつかわたしも見送られる日が来るだろう。
その日まで 「生」と「死」の重みを噛み締めながら 生きて、
そうして
ちゃんと死んでいくことができるだろうか、わたしも。 産まれてきた時のように。
彼女の半生は波乱に満ちた苦労の絶えないものだった。 晩年こそ、娘である母夫婦と共に穏やかな日々であったけれど 孫であるわたしは結局、同じような道を歩いてしまった。 救いは 彼女がもう その出来事 を覚えていないこと。
旅立ちは穏やかで良い想い出だけに包まれたものであって欲しい。 当たり前のように居てくれた大切なひと。 いつか来る別れを覚悟しながらも いつまでも其処に居てくれるような気がしてた。
「籠の鳥」の歌は よく祖母が口ずさんでいて わたしもいつの間にか覚えた。
しっかりもので気が強い彼女の その時だけは不思議に頼りなく細い歌声が 今も 耳に残る。
おばあちゃん・・・・・・・。
ずっとずっと
大好きだよ。
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ゆうなぎ
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