++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2007年04月14日(土) たくさんの正しいこと

たぶん だから 怒る という感情を外に向けて出せなくなって
しまったのかもしれない。

目の前で声高に自己の正当性を怒りに任せて喚き散らす 
あの日のアノヒトの姿が
耐え難いほど 目を背けずにいられないほど 醜かったから。



自分の正しさに絶大なる自信をもっているヒトは
どうしてそれを少しでも疑おうとしないんだろう。
いや 自分に自信を持つことは決して悪いことなんかじゃないと思う。
信念って言葉は信じて念じること。
強くそれを持つことは支えにもなり希望にもなる。

だけど100%の正義とか正しさとか
そうなるとわたしはどうしても疑問を持たずにはいられなくなるんだ。

少なくともあの日のアノヒトにはアノヒトの言い分や
間違っていないという自信があったんだろう。
じゃなければ自分の息子が亡くなった数日後に借金の申し込みや
四十九日の亡き人を送る席の孫達の前で
あんなことはできないでしょうから。


もしアノヒトにこの話を語らせたとしたら
きっとアノヒトの理屈、アノヒトの正義が
そこに現れてこの話もまるで別のモノガタリになるだろう。

むしろ自分を疑わない分、言葉は力を持つから
聞いた人はアノヒトの正当性に深く頷き
わたしは稀代の鬼嫁になるんじゃないかな。

それでもいいけど。
だってわたしもまたアノヒトを決して赦しはしないのだから。



こんな何年も前の話。今更文字にしても虚しいだけなことは
良くわかってる。
でも同じ状況ではなくても
その相手に同じような思想の欠片をみた時
わたしの頭はフラッシュバックを引き起こしてしまう。

今の社長に対してがそうだ。
社長は悪いヒトじゃないし 
むしろこちらに好意をもってくれていると思う。
だけどそれを理解しつつも
社長の中のアノヒトに似通った
自分の正しさを疑おうとしない確固たる自信をみた時に
わたしの中で拭えない拒否反応が起きる。

起きるけどでも それで怒れるのか
拒否したりこちらの言いたいこと言えるのかって
いわれればできない。

得意げに語っているだけならただ目を伏せていればいい。
適当に相槌を打ってニコヤカないつもの仮面を被って。

その方がまだいい。それが逃げでもヘタレでも。
もう対峙するだけの力なんて わたしには無いし
じゃあ わたしが100%正しいのかと自分に問うて
そうだと言えるほど自信家でもなければ
そんな自信なんて持ちたくもない。


泣けなくて怒れなくなっているわたしを見て
社長は この頃 調子がいいみたいだね と言った。
落ちついて穏やかに見えるんだそうだ。

そうみえるんだなぁ と不思議な気持ちになった。
実際は真逆なのにね。おかしなもんだ。
自動装着仮面に感謝だな。




皮肉だと思うのは
トモダチたちの方がよほど人に対して思い遣りを持っているし
だから相手に対しての気遣いもすごく懸命で。
なのに それゆえに その優しさで反対に傷つくことも多くて
苦しんでいること。

人生のフコウヘイを感じるのはこういう時。
いろいろなものを見ずにいる人間の方が
この世界では生きやすいってことですか?
それが多数決の正義ってヤツですか?

っていうか真実なんてものは
それぞれの中に一つずつあるわけで
突き詰めてしまえば
世の中はたくさんの正しいことで満ちている。

多数決の正義が必要でも
それを忘れちゃいけないって そう 思う んだ。


ヤサシいひとほど苦しい辛い想いをしてしまう世界なんて
そんなの哀しすぎるじゃありませんか。

カミサマ。


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                               ゆうなぎ


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