| 2006年08月15日(火) |
8月15日のこの日に。 |
この日には特に過去の戦争についての論議が繰り返される。
それぞれの立場で。 それぞれの想いで。 それぞれの意見や訴え。
思えばどんなことでも同じだと思うが 立場が違えば見方も変わる。 それは当然だろう。
だからそこにただ一つの正解は無いように思うのだ。
あの戦争の時 わたしは産まれていなかったが それでも その時 多くのそれぞれの国の人々が 本当に戦争というものを望んでいたのかどうか・・といえば それは違う気がする。
自衛であろうが侵略であろうが 結局 人と人が殺し合い 傷つけあった。 もしも 共通の真実があるとすれば それだけだと思う。
国の為=家族を大切な人を守る為と信じ でも 酷(むご)いことを言えばその手で命を奪った相手にも 同じように大切なひともたった一つしかない人生も あったということ。 だからこそ 救われない。
だからこそ 人ではなく国でもなく 戦争 という悪魔に人々を駆り立てた実態の無い何か・・を憎む。
わたしたちが議論すべきは認識すべきなのは 本来 そういうことじゃないのだろうか?
命を落としていった人達が望んでいることは それが侵略戦争なのか自衛の戦争なのかとかいう そんな戦争という名の亡霊に縛られ、こだわり続ける事では無くて もっと もっと 違った議論なんじゃないだろうか?
言葉にならずに すごくもどかしい。 戦争を知らない人間のキレイゴトじゃないかと 言葉が上滑りしているのが もどかしく悔しい。
でも小さな声でも今はこうして声をあげることができる。 それぞれがそれぞれの立場で少なくとも自由に。
できることがあるのだと思う。 それはそれぞれが国や人種や主義を越えて。 言葉にすること。 それぞれが自分の思うことを自由に言葉にできること。
それこそが8月15日の意味なのではないかと
わたしは そう思う。
「祈り」
何もできないからと 諦めることだけはやめよう
小さな小さな声を あげることさえ 許されなかった時代(とき)が 確かにあったのだから
せめて
小さな小さな声を あげ続けることを 忘れないでいよう
そこからでも きっと 始められる
小さな小さな声でも 集まって 大きな想いになって
まちがいを繰り返さないような 力になることを信じて
この日に
いいえ
この日にも
・・・祈ります
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ゆうなぎ
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