++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2006年05月06日(土) うたごえ

実家と自宅を行ったりきたりしてる。

一応 本業の仕事はGW中休みにしているとはいえ
副業の方は一日一日を積み重ねていかなきゃいけないものだし
本業も仕事依頼のメールは年中無休受付しているから
そうそう長期にわたってPCを立ち上げないわけにはいかない。

それで必然的にこういう形になる。
ゆっくりとしたレジャーとは久しく縁が無いが
これも仕方ないと思っている。



実家では大ばあの介護補助をせめて少しでも。
これは両親の負担を少しでもできる時には軽く出来たら・・
という気持ちもあるが 何よりもわたしが大ばあに触れたり
話しかけたりしていたいんだ。
そうして安心したいっていう 想い。

これは365日で無いからできるってこともあると思う。
介護っていうのはキレイゴトだけでできるものじゃないから。
24時間365日になるとそりゃストレスは並大抵のものじゃなくなる。
それは情が薄いとかそういう問題じゃない。
それほど 一人の人間の全部の重さを受け止め支えるということは
大変だということ。

言葉でいうのは易しい。
でも現実の日々は毎日そこにあって
それと向き合ってこなしていかないと
一日は無事に終わらない。その逃げ場の無い厳しさ。


子育てと介護はどこか似ている。
育っていくものと還っていこうとするもの。
ただ それだけが違うだけで。

そうしてどんな形にせよ、どんな立場でにせよ 
わたしたちは誰もが それらと関わって生きていく。

生まれて死ぬまで誰の手も借りずに生きていくことのできる人間はいない。
否応なく例外なく。




実家は田舎なので この季節、晴れた日には鳥のさえずる声がする。
窓を開けて涼やかな風に吹かれて目を瞑ってその声を聴いていると
色々なことが想い出されてくる。
不思議とそれは懐かしさと優しさだけに包まれているもので
わたしを微笑ませる。


いつのまにか 鳥の声は止んで 
大ばあが小さな声で昔の歌を歌っていた。

少し調子の外れた 
でも童女のように澄んだ声の大ばあの歌が
わたしはとても好きだ。



生きていく上で できることはカナシイほど限られていて
叶わない望みの方が時として多かったりして
精いっぱい抱きかかえたつもりの腕の隙間から
ポロポロとこぼしてばかりなのが堪らなく切なくなるような
この人生。

道はいつも曲がってばかりで
わたしはいつも迷ったり遠回りばかりしている。


それでも

あの歌声を聴くたびに
あともうすこしだけ 頑張ってみようと
そう思うんだ。



少し調子の外れた 
でも童女のように澄んだ声の大ばあの歌が
わたしはとても好きだ。

とても
とても

好きだ。

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                               ゆうなぎ


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