++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2005年10月14日(金) ちっぽけな告白。

自分のこと。

受けた傷に 同時に与えただろう傷。
整理のつかないままに
逃げないといいながらも
後ずさって・・そう
逃げないまでも立ちすくんで正視できないでいること。
認めたくないこと。譲れないこと。
正しいのか間違っているのか
これは自分のイイワケなのか。


子供のこと。
子供達のこと。

三人それぞれの
一人一人の
余りにも大きかっただろう傷と痛み。

これを書くことは勇気だったと言えば笑われるだろうか。
たったこれだけのことを それほどに臆病に怖れていた。

たったこれだけのことから それでも綻びて気づかれて
それから またあの悪夢の情景を見せられることになるのが
耐え難かったから。

だから隠れていたかった。見つからないようにひっそりと。そっと。
それが望みの全てだった。

それでも危険を冒しても書いておきたくなったから
ここに記す。


見る方向が違えば景色も変わる。
正しさも正義も言い分も
反対方向から見れば全てが逆転する。
「羅生門」のように。


子供のこと。
子供達のこと。

三人それぞれ。
登校拒否に
イジメ イジメられ。

保護者の方々もそれぞれ。
言い分も言い訳も。


授業参観日、廊下で喰ってかかられたこともあった。
まったく初対面のお母さん。

これはこちらがイジメていた側。ひたすら頭を下げた。
もちろん先生からの連絡で子供と話はしていた。叱りもしていた。
ただ電話で相手の方に謝るということができていなかった。

言い訳が許されるなら わたしがまだ心療にかかる前で
今より一層ニンゲン全てが怖かった。

担任の先生にはお話して 通じて謝罪を伝えていたけれど
それでは相手のお母さんの気がすまなかったらしい。
「何故 直接お詫びの電話がなかったのか」と。
確かにこちらの明らかな手落ち。いい訳できることではない。
だからひたすらに頭を下げた。

「お母さんがそんな調子で逃げているから子供さんが
あんな調子なんじゃないですか」と言われたのが堪えた。
教育指導めいたものまで話されるのを
米搗きバッタみたいに頭を下げて聞いてた。

確かにその日の授業参観 子供は落ち着きが無かった。
多分 それを見て言われたのだろう。
確かにもっともなことで。いい訳できることではなくて。
ひたすらに謝りながら それでも

あなたに何がわかるっていうの? って
言葉を胸に必死で呑み込んでいた。


しばらくは学校そのものが恐怖だった。
文字通り 追い詰められたようになって。
薬を飲んでいる今もその方のことは怖い。


別の子は反対に言いたいことが言えない。
内弁慶。言わなきゃわからないよ。通じないよ と言っても
学校で溜め込む。
その反動で家ではワガママが酷い。
それでバランスとってるんだろう。

イジメられるというよりも 多分 相手の子供は深い意味もなく
意識せず言っていると思う。
この年頃の子供はある意味 無邪気に残酷。
だから 一番おっとり見える子に対して何気なく強い言葉を吐く。
それで笑い飛ばせたり言い返せれば笑い話だけれど
言えずに溜め込むから溢れる。

学校へはそれでもちゃんと行っていたのに
ある日 もう一人が落ち着き出した頃 泣いて学校に行きたくないと
言い出した。
事情を聞き、先生に電話でお話をして 対処した。
お詫びの電話うんぬんの件はどちらでもいいですよ と
話した。きちんと子供が伝え切れなかった気持ちが伝わればいい。
それが重要に思えたから。
親から電話があったからそれが誠意 というのも正論のようだけど
それがただの親の安心の為にあるのでは形骸化に過ぎない気がした。
それでは肝心の子供対子供の問題から遠ざかる気がしたから。

親がしっかりと子供を見ていることはとても大切なこと。
それを放棄することだけはするべきでないと思う。
それでも親も子供も完璧ではない。それぞれの見えない事情もある。

そうして
イジメる側とイジメられる側はあっけないほど簡単にひっくり返る。
それもまた シビアな事実。


2日後にイジメてたという子のお母さんからお電話をいただいた。

イジメた子の親の立場になったこともあるから気持ちは良くわかった。
だから穏やかにお話することができた。

友達・親友と呼び合っている子供達の間でも イジメめいたことは
起こりえる。それをケンカと呼ぶかイジメに変わるのか
見極めはとても難しい。

子供にとっては狭い世界でもそれが全てだから。

親も子も
悩んで苦しみながら日々一歩ずつ手探りで歩いているのかもしれない。




登校拒否はそれぞれの子が交互に。
泣きたい思い、胃の痛い思い。
毎朝 三人が無事に笑顔で学校に行ってくれると心底ホッとする。


一番上は思春期。
こちらもキモチが不安定。
それでも良く踏ん張ってくれてると思う。
非行とかそういうのとはタイプ的に違うけど
ちゃんとしなきゃという精神的なもの 
わたしに似ているから心配な部分がある。
複雑。



夫が亡くなる前から亡くなった後。
子供達はお葬式の日にも泣かなかった。
上の子はひたすら下の二人をちゃんとさせなきゃ・・って
自分だってまだ子供だっていうのに。

実感も無かったろう。
精一杯張りつめていたんだろう。

それぞれの小さな胸の中に
早すぎる消えない傷を刻まれて。
心細さと寂しさを それでも 懸命に押し込めて。
闘ってきたんだ。
それぞれに。
みんなで。

不安定にならない方がおかしかったのに
今まで無理をしすぎてきた。

大人のわたしすら 壊れた。
今もポンコツになっちまった精神と身体を騙し騙ししか生きられない。
それをこの子達は今まで 頑張ってきた。
頑張りすぎるほどに頑張ってきた。

弱い母親だ。わたしは。
守りきれていないし 逃げ腰にもなっている。
認める。
本当はもっともっと必要なんだと思うのに
そのもっともっとが出来ないでいる。

だけど
どれだけヘタレなダメな母親でも
母親でいる事と此処にいること
不器用な手でも抱きしめ続けることだけは
それだけは 止めない。

オチコボレの母親ができる唯一のことがそれだから。


本当はまだ書けないことも沢山ある。
でもそれは書けないし書きたくないから書かない。
所詮 全部を文字や言葉にできる人生なんてないのだから。


辛いこと苦しいことなら
そこら中に世界中に溢れている。


それでも
どれだけぶっ壊れようと
生きる
生きて生きて
生き抜いてやるんだ。

強くあるのは難しい。

同じような境遇でも
凛と自信を持って生きていかれてる方々も沢山いる。
それができないわたしは ヘタレだ。
なんとも情けなく弱すぎる。

それでもこんなヤツでも生きています。
全然なってなくて余裕もなくて這いずりまくりつつ。

でも生きてやるんだって思ってます。

生きることからリタイヤしたくないっていえば嘘になるけど
それでもそれでもそれでも
臆病者の根性無しなので
未だ飛ばずに地を這ってます。

それでいいんだと思います。


これがわたしの 
ちっぽけな告白。


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                               ゆうなぎ     


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