++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2005年03月21日(月) その日

わたしは疲れきっていた。
もう一ヶ月近くその緊張状態は続いていて
一人ぼっちの泊り込み。もう意識の無くなってしまった人の側で
完全看護の病室。
できることはただ ひたすらに 
そこにいて 死にゆくひとを見守り続けること だった。

疲れていた。
疲れきっていた。

心のどこかで もう終わらせてくださいと
願ってすらいた。苦しみに耐えられずに。


人間の感覚で一番最後まで残るのは聴覚と触覚なんだそうだ。
だから 触れて話しかけてあげてくださいと。

だから 話した。色々な話をした気もするけれど
何を話したのかよく覚えていない。昔の話。懐かしい話。
幸せだった頃の。それから

「大好きだからね」と言った。
手を握って。
でも
「愛してるよ」とは どうしても言えずにいたのだった。
なんだかそれをいうのは罪のような気がした。
愛してる感情は擦り切れてしまっていたのに
それに嘘をついて最期だからと「愛してる」というのは
むしろ許されないことのような気がした。
してはならない偽善のような気がした。

だから 最期まで言えなかった。
最期まで
「大好きだからね」としか いってやれなかった。

逝ったのは真夜中だった。

病室のソファでわたしは疲れてうたた寝をしてしまっていた。
ほんの数十分。それまで起きていたのに。

見回りの看護婦さんに起こされて
そのひとが一人で旅立ってしまったのを知った。


一人ぼっちで旅立たせてしまった。
手も握ってやれずに。
側にいたのに。

愛してると言って 手を握って・・・
どうしてそうしてやれなかったんだろう。
どうしてそうして見送ってやれなかったんだろう。
嘘つきでも偽善でもそんなことどうでもいいから。

だって 確かにそれでも
愛していたんじゃないか どんな形でもそんなことがあっても
それでもやっぱり。

そのひとの最期の顔はとても穏やかで
眠ってるようで

でも 一人で旅立ったのは
わたしへの最期の思いやりかそれとも諦めか・・

でも それなら わたしは
わたしは・・・。



わたしは

その日
重い荷物を背負った。

この荷物をどんなことがあっても
生きて一生背負い続けることが

見送ってやれなかった
優しい嘘すらつけなかった

そのひとへの
わたしができる

永遠の祈りのような気がしている。



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ゆうなぎ [MAIL]

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