コミュニケーション。
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あけましておめでとうございます。 年末年始はいろいろあってドタバタ現在進行中なので、実感一切なし。 まだ妊婦なので、区切り感がないのかもしれない。 いよいよ出産ともなると、産む前の仕事がぶわっと襲い掛かってくるうえに、 手芸計画もしたい、掃除もしたい、 という私のわがままが噴出中。
しかし、いよいよ予定日まであと5日。 遅れるかもとはいえ、一週間あるかないか…。 息子達の新生児期はあっという間に忘れ去ったため、 今頃赤ちゃん製品など見比べて、買っている。 ベビーバス、本当に1ヶ月くらいしか使わないのに、やっぱり必要だと再確認し、 その後も使えそうなかわいいタライにした。
前回の日記にも書いているけど、 子供たちの甘えん坊はますます加速中。 でもまたそれが可愛い。
息子が年末に熱を出したので、恒例の夫実家旅行はキャンセルにしてもらい、 年越しは息子と2人で実家にお世話になった。 娘がいないときの息子はやっぱり違って、素直で、可愛かった。 父は「妹がいるとカッコつけるんだろう」と言っていたが、 強がっているのは確かなんだろうと思った。
3番目に手がかからなくなるころ、息子は反抗期に差し掛かるだろうし、 可愛い息子との時間は本当に刻一刻と減っていくのを実感して悲しかったので、 結果論だけどインフルエンザでもなかったし、 2人でゆっくりお風呂に入れた年末で、本当によかった。
子どもには自分の人生を謳歌してほしい気持ちはもちろんあるけど、 自分の子どもへの依存もひしひしと感じる。 その反動や不安として編み物がある。
子どもを力いっぱい抱きしめるとき、肉体の違いが悲しい。 夫とは、違うからこそ愛し合えるし、セックスが楽しめるので違っていてかまわないのだが、 子どもとの肌うす皮1枚が遠くて辛い。 骨が折れるほど抱きしめても、魂までは抱きしめられない。 いつだったか海外ドラマで同じことをセリフで言われてびっくりした。
そのドラマでは、代わりに宗教で繋がるのだと説明していて、 なるほどそれも一理あると思った。 神を通して繋がるのだ。
日本に生まれて多宗教で育った以上、ドラマほど厳格にはできないが、 日常生活の全てがそうなのだと思うこともある。
さて、入院準備や赤ちゃん用品準備(と仕事)に戻らなければ…。
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