綿霧岩
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@さざんかホール、ゴスペルライブ。 初めて参加させてもらいました。 なんだろう、こういう舞台上での魔法みたいな出来事を文章にすること自体がもう、書いた端から本当では無くなっていくみたいな気がして躊躇われるんだけど、でも、書かなければ私の記録として物理的に残るものがないので、そんなふうな「残しておきたい!」気持ちになることも珍しいので、書いてみます。
クラシックバレエ発表会の舞台のオープニングとエンディングで一曲ずつ歌いました。 両方とも、歌はあっという間に終わった。 それなのに、歌が始まる前と後の空気が全然違う。 何がどうなってそうなのか、よくわからないけど、とにかく皆と一緒に集中して歌って、すぐに終わって退場して舞台裏を歩きながら、自分の体の奥がぶるぶる震えているのがわかる。そして裏ですれ違う舞台スタッフの方やバレエの出演者の方や保護者の方やらがお疲れ様でしたと声をかけてくれるその感じが優しくて、楽しくて嬉しいみたいな空気が全体に伝染してる感じがして、後ろを歩いている一緒にゴスペル歌った方が涙を拭いているのを見て、ああ、みんなこの空気を感じてるんだ。嘘じゃないんだと思った。 すごい、って一言でいえばそう思った。 ほんとにすごい。 でもこのすごいはあまりにもさらっと読めてしまって何がすごいのか全然詰め込めないことに自分で勝手に呆然とします。 歌というものがすごいのか、音楽というものがすごいのか、音というものがすごいのか、ゴスペルというものがすごいのか、 その全部だろうけど。 そして人ってすごい。 歌う人も聞く人も。その歌を作った人も。 歌そのものは歌った瞬間に歌う人のもとを離れて聞く人のものになる、だからうまく歌ってやろうとした途端にその歌はダメになってしまう、うまく歌う技術を磨く練習を重ねるのだとしても、歌うときは全部忘れて天に委ねるんだと歌のゆりな先生が仰った。 無心で歌って、聞く人たちがしっかり受け取ってくれて体で感じてくれたからこそあんなにこみ上げる嬉しさが湧いてきたのだと思う。 それは渦まくみたいな嬉しさで、その渦は何度も何度も登ってきて、家に帰って寝て朝目が覚めてもまだしばらく残っていた。
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