日記なんだかネタ帳なんだか

2015年04月29日(水) 一過性だが大騒動だった

※本日4/29の日記が長くなったので、4/28の日付で、拍手メッセージのお返事のみを単独でアップさせていただいております。



礼様が日記に書いてる黄色いもさもさの花って、現状ではスクランブルエッグにそっくりで、たまに白いのもあるということは、もしかしてモッコウバラかしら?と首をかしげていた管理人です皆様こんにちは!
この時期あっちこっちの家の庭先でもさもさしまくってるスクランブルエッグっぽい花って、モッコウバラくらいしか思いつかない…。

  安堵の日記絵

とまあ、黄色いもさもさの話はひとまず脇へ置いて。

本日の日記はイベント行ったわけでもないのに、たいへん縦長ですよ。
例のみなせ家大パニック・母を襲った一過性全健忘の巻でございます。

あれは、日曜日に謙さんテンさんとの久々のミカンオフを控えた週末、金曜日のこと。
会社で帰り支度をしていた私に、父からのメールが入りました。



父「お母さんが大変です。お医者さんに診てもらわんと…。どうしよう!」

大変ってどう大変なのかしら、これだけでは全然分からない…と思いつつ、車に乗り込んで、駐車場を出る前に返信しようとしたら、再びの父からのメール。

父「お母さんが大変です。どうしよう」

まったくもって要領を得ない。
以下、帰宅するまでにやりとりした父とのメール。

私「何事ですか。具体的に述べなさい」
父「同じことを何回も聞くし、最近の出来事を全然記憶してないのです。急にこんなことになるの?」
私「え、何時頃から?」
父「三時頃からです。早く帰ってくれ」
私「いま帰ってる、しばし待て。A(=私の妹)には連絡した?」
父「まだだ。連絡した方がいいかな。どうしたらいい?」
私「分かった、Aには私が連絡する。ここの渋滞抜けたらもうちょっとで帰れるから」

今見直すと、父の混乱ぶりがすごいです。
「どうしよう」とか「どうしたらいい」とか、とにかくもう、タスケテ光線発しまくりな文面ですね。
なにしろ、母がちょっと風邪をひいたり、ちょっと指先を切ったりしただけで挙動不審になる父ですから、相当なパニック状態であろうことは、想像に難くありません。

渋滞でなかなか動かない車中から、妹に短い報告メールをいれ、帰宅して家に飛び込んでみると、まず視界に入ったのが、ダイニングに座っている父と、そのとき冷蔵庫にあったすべてのお肉のパックを、鶏牛豚合挽と合計4種ずらっと目の前に並べて、途方に暮れたように立っている母でした。
どうやら「夕飯を作らなければならない」とは思ったものの、今自分に起こっている現象がよく理解できず、母は母で混乱していたもよう。

父によればその日、母は昼食を普通に作り、食後に二人してテレビを見ていたところが、母が途中で眠ってしまったのだそうです。
母は3月の終わりごろ、以前ヒビの入った肋骨あたりを机の角にぶつけて以来、痛みがなかなかとれず、本来なら毎日夫婦で一緒に出かける卓球練習を、ずっとお休みしていました。
というわけで、眠り込んだ母をそっとしておいて、父は一人で近所の卓球の練習場へ向かいました。それが大体2時頃。
そして1時間後の午後3時、練習場に母から電話が入ります。

母「なんで一人で卓球行くの?私は行かんでもいいの?(怒)」
父「え?だっておまえ、肋骨痛いからしばらく休むって自分が言うたろう」
母「…なんか私、ちょっとおかしいみたい…」

普通、そこで母の異変に気付くはずですよね。
しかし、ここがうちの父の不思議なところで、「自分で『自分はおかしい』と言えるくらいだから、別にたいしたことはないだろう」と勝手に判断してしまい、すぐには家に帰らずに、午後5時まで卓球を続けていたらしいのです。

そこはすぐ帰れよ。
…と、後から私に散々言われたうえに、病院の先生からも父は怒られていましたが(苦笑)、まったくもってその時に父がすぐに帰宅し、間髪入れずに母を病院に連れていっていれば、後々家族全員が、何日も不安に苛まれるという事態は避けられた可能性もあったのですね。

しかし、結局2時間後、帰宅した父はそれなりの逆襲(?)を母から受けることになりました。
帰ってきた父に「お帰り」もなく、母は矢継ぎ早に、「こんなにいっぱいヨーグルト買ってきたの、誰⁉どうするん!」「このミツバは誰にもらったの⁉なんでこんなとこに水入れて挿してあるの⁉」「このリンゴをこんなとこに入れたん、誰!」などなど、立て板に水の文句連発。
すべて母自身がしたことなのに、何故か父が怒られまくり。

しかも、その時の母には記憶の蓄積ができないわけですから、同じ文句を何十回も繰り返し、そこでようやく事の重大さに気づいた父は(遅)、慌てて娘に助けを乞うメールを送ったわけです。

私が帰宅したときには、発作のピークは過ぎていたのか、母は私に対して文句を言ったり怒ったりすることはなく、「とにかくお肉はしまって、椅子に座ろうね」という私の言葉に素直に従いましたが、今度は「お父さん、今週病院に検査しに行った?行ってないよね」と繰り返し始めました。

私「ちゃんと火曜日に検査に行ったよ。お母さんも一緒に行って、昼ごはん食べて帰ったって聞いたよ」
母「…行ったっけ?いや、行ってないよ」
私「大丈夫、行ったよ」
父「その病院の話もな、さっきから何十回も言いよるんよ(困)」
母「私、おかしい?どんなふうにおかしい?」
私「うん、まあ、いろいろね」
母「お父さん、今週、病院に行った?行ってないよね」
私「ちゃんと行ったよ」
母「私おかしい?どんなふうに?」

うーん、これは本当に困るな。

とにかく、脳のどこかの血管が詰まっているだとか、発見が遅れるとまずい事象があっては困るので、当日の救急病院に連れていこうと決め、妹夫婦も付き合ってくれることに。
夕飯どころではないので、父が「ちょっと惣菜買ってくる」と近所のスーパーに出かけ、その間私が母の傍について、ひたすら「お父さん病院行った?」と「私どんなふうにおかしい?」と繰り返す母に、こちらもひたすらオウム返し。
謙さんにメールをいれて、週末のミカンオフも急遽キャンセル。

「今日は何月何日?」と質問しても、母自身はものすごく真剣に考えているようなのですが、答えが出てきません。それどころか、3時に自分が父に電話をかけたことも覚えてない様子。
しかし、「私のこと分かる?」「M和とE都(私の高校時代からの友人)は分かる?」「謙さんとテンさんは分かる?礼様は?」など、そういう質問にはちゃんと正確に答えるのです。

これも後から知ったことですが、一過性全健忘では、発作中の記憶ができないだけで、人間関係を忘れたりはしないため、「あなたは誰?」というようなことは無いんだそうです。
しかも発作中、本人も何かおかしいぞと感じる場合が多いらしく、それでいて、たとえば車を運転するとか電話をかけるとか、そういったことは支障なくできるため、母が父に「自分はちょっとおかしい」とうったえる電話をかけたのは、当然といえば当然の流れだったのでした。

でも当日の時点では、そんな知識は私にはないわけで、「こんな急激な認知症とかあるんだろうか、親が急に片付け下手になったら認知症を疑えってよく聞くけど、うちの母って昔からずっと片付け下手だし…」とかなんとか、ぐるぐる様々な考えをめぐらせておりました。

そこへ、から揚げと魚のあんかけ、サラダ2種といった惣菜を抱えて父が帰宅し、とにかくは祖母に夕飯を食べさせようと支度をしかけたところへ、父から連絡を受けた伯母が駆けつけてくれました。
私が伯母に状況説明をする間に、父が食器を出して何やらゴトンガタンやっていたかと思うと、さっさとお盆にそれらを乗せて、祖母の部屋へ。
しかし、残された惣菜を見ると、から揚げもあんかけも、封を開けたあとがありません。

ちょっと待って!お父さん、お婆ちゃんに何を持って行ったの⁉と祖母の部屋にすっ飛んでいってみたら、お盆の上にはお茶と白ごはんと、そして小皿2つにちょっぴりずつ盛られたサラダ2種。

お父さん、いくらなんでも動転しすぎでしょ。

慌てて他のおかずも祖母に持って行って、騒いでいる間に妹が調べてくれた当日の救急病院に連絡をいれ、妹夫婦の到着と同時に家を出ました。
道に詳しい義弟の先導のおかげで、病院にはスムーズに到着して、慌ただしく手続きをして、ほどなく診察。
その頃には母の症状はかなり落ち着いていて、お医者さんの質問にも自分できちんと答え、じゃあCTをとりましょうね、てな流れになったのですが、実はこの一回目の診察の記憶、母の脳内から速攻で消え去っていたんですよ。

母いわく「診察もせずにいきなりCTスキャンとるなんて、不思議だなあ…」と思いながらCTに臨んでいたらしく、翌日家族で話を突き合わせて、その事実が判明。
そんな調子ですから、病院に行く前、父が帰宅したことも私が帰宅したことも、伯母が来てくれたことも認識しておらず、母の中では「なんか気がついたら、周りにみんなが居た」程度のぼんやりした記憶しか残ってないそうで。

なんかもういっそ爽快なほどの忘却ぶりだなあ。
と、今だからそう言えるわけですけど、結局当日救急の担当医の先生は内科専門で、CTには特に脳の収縮や出血や傷といった異常は無いとは分かるけれど、記憶がすっ飛んだ原因については専門外だからサッパリわかんない、某病院に神経内科のいい先生がいらっしゃるから、そちらにご相談下さいと言われて帰宅。

その晩と、翌日の昼くらいまでは、母は時々私に不思議な質問を繰り出したりしていましたが、日曜日になると嘘のように通常どおりになり、父が病院の検査に行ったことも思い出し、金曜日の午後の記憶だけが依然として戻らないという状態に。
しかし数時間とはいえ、その間の出来事は何一つ思い出せないため、母はしきりに怖い怖いと不安をうったえ、母が不安定だと自動的に、父もどんどん不安定になる我が家。
そんなipodなみに几帳面に同期しなくても。

でもって、週明けすぐに神経内科に行けたらよかったのですが、紹介された病院では週一しか神経内科の診察をしていなくて、予約がかなり先延ばしに。
だから親父、あの電話のときにすぐ帰っていれば以下略。

とにかく前兆なし、原因不明、突然というのはやはり怖いので、常に父か私のどちらかが母から目を離さないようにして、何をするにもおかあさんといっしょ状態のまま過ごす日々。
それと並行して、少しでも不安を払拭すべく、ネットで母と似た症例を調べていたときに、たまたま検索にひっかかったのが、件の一過性全健忘でした。
読めば読むほど症状ぴったりじゃないか!
まれに重篤な病気の一端だったりする場合もあるけれど、大半は後遺症もなく、予後が大変良いと書いてある!

私「お父さん、お母さんの病気は一過性全健忘じゃないかな?」
父「一過性ならいいけどなー…」←落ち込んでるので一目散にネガティブ思考
私「そうであると信じればそうなるわ!」
父「信じる者は救われるかー…」
私「そうそう!」

まあ所詮、私の素人判断ですから確実ではありませんが、詳しい症例などを印刷して手渡すと、「確かに症状がよく似ている」と両親も思ってくれたらしく、あとは前向きに検査待ちしましょうという構えに。
そして検査当日、仕事中の私に父からメールが入って、

父「一過性全健忘で間違いありませんでした。再度のCTにも異常は無かったよ!」

ヨカッタ!ヨカッター!(←安心しすぎて片言)
やっと安心して眠れます。

父は前述したように、神経内科の先生から「ご主人、5時まで放っとかずに、電話があったらすぐ帰って病院に連れてきてあげてください」と釘を刺され、神妙に「次からはそうします」と答えていたそうです。
いや、次があったら困るんだけどなお父さん。

ただひとつ気になるのは、父が出かけてから帰るまで、2時から5時までの母の行動です。
うちの祖母は足を少し悪くしていて、自室からはトイレのときくらいしか出てこないため、この3時間、母が一体何をしていたのか、どういう行動をとっていたのかは、母と一緒にリビングに居た我が家のダメ猫・ボウズしか知らないのです。

そのボウズはといいますと、母が救急病院から帰ったとき、母の顔をものすっごく凝視してはちょっと甘え、また少し離れてものすっごく凝視しては甘えるという、いつもとは全然違う行動をとっていました。
奴も「このヨーグルト買ってきたのは誰!?」とか、理不尽な怒りをぶつけられたりしたのでしょうか。

猫と神のみぞ知る母の空白の3時間。謎すぎる。
ともあれ、母の記憶すっぽ抜け事件は、やっと終息いたしました。
皆様の身近な方が、もしも何の前触れもなく、突然何十回も同じ質問を繰り返し始めたら、一過性全健忘もひとつの可能性としてお疑い下さい。
発作中に神経内科にかかれば、判断も早くできて、我々家族のように何日も心配することなく(←ここ重要)、原因が早急に分かるようですよ。

繰り返しになりますが、サイトにいらして下さる皆様にも、たいへんご迷惑&ご心配をおかけしました。
気分上向きでGWを迎えられます!


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