まだ余震が続いてます。 今、18:22です。 地震があったのは、11時ぐらい。 そのとき、たまたま私は女友達が私の部屋に来てました。 友達が 「ねえ、これ何?これ何?これなに!!!」 って言って、その後二人で 「キャーーー!!!」 「うわーーー!!」 「怖いーーー!」 って感じでした。 かなり揺れました。 ファンヒーターが止まるぐらい揺れた。 うちのファンヒーター、動かすと自動で止まるんです。 キッチンの戸棚は全部扉が開いて、冷蔵庫とその横の食器棚が揺れだした。 うちの冷蔵庫は400Lの180cmある、一人暮らしにしては大きな冷蔵庫。それが倒れると部屋から出られなくなると思ったのと、冷蔵庫の隣にある、前面が鏡になってる食器棚が倒れたら、ガラスが割れて大変なことになると思ったから、私は揺れの中、冷蔵庫と食器棚を必死で押さえてました。 私の部屋は1DKなので、揺れが激しくなりかけたときに私はキッチンのほうに移動して、友達は部屋のほうそのままにいたの。友達は、ベットの上から「怖い怖い!」って言ってた。私は私の部屋をよくわかってるから大丈夫だけど、友達が怪我したら大変だから、友達には 「とりあえず、そこ(ベットの上)が一番安全やけん あんた毛布かぶってじっとしとくとよ! 揺れがおさまったら、外に出るけんね!」 って言って、私は冷蔵庫と棚をおさえるのに必死。 ベットのところには倒れ掛かかってきて危ないような高いものは何もないし、今までひどい地震にあったことがないせいで、揺れはすぐにおさまるだろうし、たいしたことないと思ってたからだったけど・・・今思えば、建物が倒壊したりするんなら、天上が落ちてきたりすれば、全然安全じゃないんだけどね。 意外と冷静なところもあって、冷蔵庫が倒れたら、私一人で起こすのは無理だなあとか、鏡の食器棚が倒れたら、食器とか全部割れたりして、かたづけるの大変だろうなあとか、ガラスの破片が部屋に散らばったら、素足で歩くのは危ないなあとか考えてた。とにかく、食器棚が倒れたら大変だ!って、そのことで必死でした。なんでこんな食器棚買っちゃったんだろうなあとか、地震用のつっぱり棒はつけとくべきだったなあとかも考えてた。 でも、今思えば、もしももっとひどい揺れだったら、私は冷蔵庫と鏡の食器棚の下敷きになってたかも、とかも思うし、ガラスの破片が危ないどころじゃないことかもしれないので、冷静そうで冷静じゃなかったとも思ったり。 揺れがおさまってから、携帯で実家に電話。 なかなかつながらなくてあせって、自宅の有線電話で実家に電話しようとするのに、番号が思い出せなくて困った。 ほんっと、自分でもびっくりするぐらいてんぱってて、実家の固定電話に電話するのに、090って入れてしまったくらい。てんぱってるって自覚がないのに、てんぱってるの。自分でおもしろいくらいに。 実家に電話を入れたときは、妹が出て、半泣きで声が震えてました。「ふるえがおさまらん」って言ってたので、家族みんなの無事を確認した後 「とりあえず、今からそっちに帰るから、心配しないでってお父さんたちに言っといて」と言って。 部屋を見たら、空気清浄機が倒れて、テレビの上に置いている電話が落ちて、掛け時計が落ちて、姿見の鏡が倒れて、いくつかの棚は壁から15cmくらい前に出てた。鏡は倒れてたけど、倒れた場所にたまたま、クッションとぬいぐるみがあって、割れなかった。棚の上に置いてた鏡も落ちたけど、たまたま洗濯物をたたんでたのの上に落ちたので割れなかった。 部屋を出たら、隣の隣の部屋の女の人が廊下に出てきてて、私の友達が話をしてた。その女の子はお風呂に入ってたときに地震があったんだって。大変。 私の部屋の鍵はカードキーなんだけど、いつも靴箱の上に置いてるのに、地震のせいかどこかに行って見つからなくて、部屋の鍵をかけないまま、そのまま車で実家へ。 うちの近所のパチンコ屋さんからは、人がたくさん出てきてて、みんなどんどん帰ってた。さすがにね。 実家についたら、家族はけっこうのほほんとしてた。 お父さんはパソコンでソリティアをしてたくらい、落ち着いてて、あまりにも普通すぎて、「そしてなんでお父さんはトランプよ」って私が笑ったら、家族と友達も笑った。家族の顔見るだけでほっとしたけど、みんなで笑ったらもっとほっとした。 その後は、地震のニュースを見てわあわあ騒ぎながら、地震が起きたとき何をしてたかそれぞれの話をした。 妹もお父さんも弟も寝てたらしく、地震で目が覚めたんだって。 ばあちゃんは起きて台所にいたみたいだけど、なんか、一番のほほんとしてて「ご飯食べたね?」とか、いつもどおり。「今はご飯食べれないって」って私が言うと、「もう食べたと?」とか。 いやいや、そういうわけじゃないよ? ばあちゃんってば。笑 妹とお父さんの部屋は2階で、妹は地震がおきたとき、毛布をかぶって、ベットの背もたれのところにしがみついて、揺れがおさまるまで泣いてたらしい。お父さんが部屋に迎えにきてくれて、一緒に下へ降りたらしい。 ばあちゃん「いつも気が強いあの子が、泣きべそかきよった」って、なんか楽しそうに笑ってた。私が見た感じでは、どうも小さい頃の妹を思い出してうれしそうな感じで。ばあちゃんは絶対天然だ、と確信した。ばあちゃんのマイペースっぷりはすごい。さすが昭和5年生まれ。戦時中経験者だからなんかいな。 友達の家は、ニュースで流れてた、中央区天神の近く。猫がいるから心配だったので、13時過ぎくらいに友達の家の様子を見に行くことに。 友達の部屋は7階だけど、被害はほとんどなく、猫も無事。すごく安心した。 それから、友達は一人暮らしだし、実家も遠いから、一人でいるのも不安だからってことで、私の部屋に戻ることにしたんだけど、車がすごい渋滞。ものすごく疲れた。でも、車に乗ってたおかげで、余震の怖さは感じなかった。 私の部屋に戻ってきたのは17時くらいで、それからも震度2〜3ぐらいの、体や家のきしむ音が聞こえるくらいの余震が数回あって、そのたびにものすごく怖くて、友達は今もベットの上で毛布をかぶってテレビを見てます。 私はとりあえず、ネットを開いてみたら、友達からカキコがあったので、日記にて私の状況報告をすることにして、こうして書いてみました。 新潟の地震とか他人事みたいに思ってたけど、ホント、怖くて怖くてたまらんかったし、今も怖い! でも人間、危機が迫ると、けっこう「とりあえず、生きてりゃなんとかなる」って思えるようで、財布と携帯とバスタオルと毛布を持って、部屋を出て車に乗りました。部屋の鍵をかけるより、安全のほうが大事だと思うくらい、すごく素早く部屋を出た。 友達がパニクってキャーキャー言ってくれたおかげで、私は冷静でいられたりしたところもあった。友達がいなかったら、私は多分、毛布にくるまって、携帯がつながらなことにパニクって泣いてただろうし、鏡の食器棚も倒れてた割れてたと思う。 っていうか、その友達とは9年近いつきあいで、ホント腐れ縁だと思ってたけど、今回ほど、「こいつとは縁は切れんやろうね」と思ったことはなかった。腐れ縁もここまでくると、運命かと思ってしまう。 「今日ほどあんたがいてくれてよかったと思った日はない」ってお互い言って、「このタイミングってすごいよね」って二人で驚いた。 もっと驚いたのが、17時に私が部屋に戻ったとき、近所のパチンコ屋の注射場は、朝10時に開店したときと同じかそれ以上くらいに、車が満車だったこと。すごすぎる執念。ギャンブラーはすごいな、地震もへのかっぱかよ、と思った。
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