「親」をしていたら誰でも一度や二度、「時間を巻き戻して、子育てをやり直したい」とつぶやいたことがあるだろう。
しかし、同僚の思いはさらに切実で、子どもを生む前まで戻りたいという。多くは語らないが、彼女はずいぶん前から高校生の息子のことで悩んでいる。
友だちを家に連れ込んでいないだろうか、夜中に出かけていないだろうか、朝までゲームをしているんじゃないだろうか、ちゃんと学校に行くだろうか……。そんな心配をしながらの夜勤は本当にきついだろう。
いままで意識したことがなかったけれど、安心して家を空けられること、心おきなく仕事ができることの幸せ、ありがたさを思う。
結婚延期の発表から三年半、長らく膠着状態にあった眞子さまと小室圭さんの結婚問題がここにきて大きく動き出しているようだ。
「国民の理解を得ぬまま、結婚を強行するなんて許せない」
「あの親子が皇室と親戚関係になるなんてとんでもない」
という声は依然として大きいし、二、三日前にも「年内結婚がひっくり返る可能性はまだある」という見出しの記事が出ていたが、年内かどうかはともかく結婚自体は実現するのだろう。
眞子さまに「おめでとうございます」「よかったですね」という気持ちはとくに湧かない。けれども、秋篠宮さまと紀子さまが「どうして破談にしなかったんだ」と国民から責められていることについては気の毒に思っている。
「将来天皇になる可能性のある人の姉であり、単なる一個人の結婚とはわけがちがう。皇室や国にとっても重要な事案だ」
にはそのとおりと頷く。
しかしながら、ふたりの気持ちさえあれば結婚できると憲法で定められているのだから、親といえどもどうしようもなかったのだということもわかる。
それが国民の総意であると承知していても、その結婚を「生きていくために必要な選択」とまで言う娘の意思を無視して破談にするのは不可能だ。皇族であろうと生活費の原資が税金であろうと、一人の人間である以上、本人が思う“幸せ”を求める権利があるのだから。
「この結婚は最初から既定路線だ。秋篠宮家は国民感情を意識して反対しているフリをしていただけ」
という人もいるが、私はそうは思わない。
報道されてきたことを話半分に聞いたとしても、あの親子のもとに自分の娘をためらいなく送り出せる家庭が世の中にどれだけあるだろう。皇嗣家という立場もさることながら「親」として、誰よりも強く破談を望んだのは秋篠宮さまと紀子さまであったろうと私は思う。
国民の祝福はおろか理解すら得られない結婚では、黒田清子さんのように里帰りを好意的に受けとめてもらうことはできまい。そして、うまくいかなくなったときには「それ見たことか」とバッシングの嵐が起こるだろう。娘が末永く幸せになれる結婚であるとは到底思えないだけに、それを容認することは苦渋の決断だったに違いない。
ブリンカーを着けた馬のように、娘の目には小室さん以外のなにも映らない。彼がアメリカにいるあいだに状況が変わるのではという一縷の望みも砕かれ、万策尽きたというところだろう。
「小室家の粘り勝ち」と書いていた週刊誌があったが、まさにそう。秋篠宮さまが求めた「それ相応の対応」もスルーしたまま望みを叶えたのだから、小室さんの完全勝利だ。
「自由を重んじるという名の下に伝統をないがしろにし、環境を選ばず好き勝手させてきたツケが回ってきたんだ」
「姉妹そろって内親王という立場を自覚していないのは、秋篠宮家の教育方針がもたらした結果だ」
と世間に言われるまでもなく、娘たちの育て方について悔やんでいるだろう。幸せを願い、よかれと思ってしてきたことがあだとなってしまった、と。
いま秋篠宮さまと紀子さまは、無念と国民に申し訳ない気持ちでいっぱいなのではないだろうか。
「『親ガチャ』っていう言葉知ってる?息子に『俺はハズレた』って言われてね、後で意味を調べて涙が出たわ」
冒頭の同僚が言う。
佳子さまが紀子さまと口論になった際、「お母さんは自分の意思で皇室に入った。でも、私とお姉ちゃんは違う。自分たちは籠の鳥だ」と言い返したら、紀子さまは黙ってしまった------という記事の真偽はともかく、眞子さまが「皇族に生まれたばかりに」「好きで皇室に生まれたわけじゃない」と反発したことはあっただろう。
「こんな家に生まれたくなかった」
これも、「親」をしていたら一度や二度は浴びるパンチかもしれない。
しかし、親は「こっちだって子ガチャハズレたわ!」とは決して言い返さない。目の前の子どもの姿は自分の子育ての結果であるとわかっているから。
いまはどんな言葉も届かない。だけど、いつかわかってくれる。
そう信じて、その日まで持ちこたえるしかない。