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2021年07月13日(火) 仕事は3K

十四時。同僚と二人、遅い昼休憩をとっていたら、彼女が腹立たし気に話しはじめた。
新規入院の患者の着替えを手伝っている最中、どうして看護師になったのかとその女性に訊かれた。小学生の頃に好きだった漫画の主人公が看護師で、憧れたのがきっかけだと答えたら、患者は不思議そうに言った。
「親御さんはなにも言わなかったの?」

「なにも」とはどういう意味だろう。動機が不純っていうこと?
質問の意図がわからず答えあぐねていたところ、「あなたたちには悪いけど……」と前置きして患者がつづけた。
「もし私の孫が看護婦になりたいって言ったら、ぜったい反対するわね。自分の娘や孫が他人の下の世話をするなんて嫌だもの」



仕事中に患者からかけられる言葉で「ありがとう」に次いで多いのが、「汚いことさせてごめんね」だ。
おむつ交換や陰部洗浄(ベッド上で排泄している人の陰部を石鹸洗浄して清潔を保つケア)のときにしばしば言われる。排泄物や陰部を見られる羞恥心と同じくらい、もしかしたらそれ以上に「“汚いもの”を見せてしまって申し訳ない」という気持ちでいっぱいなのだろう。

しかしながら、「大変なお仕事よね、こんなことまでしなくちゃならないなんて」という言葉の中に、ねぎらいだけでなくネガティブなニュアンスを感じることがたまにある。
昭和二十六年、戦後の看護師不足に対応するため、政府は中学を卒業していれば二年で資格を取れる准看護師制度をつくった。病院側も看護師を集めようと、学費の安い付属の看護学校を設立したり看護学生に奨学金を出したりした。そのため、“お金がなくてもなれる”看護師は戦争で夫を亡くした女性や生活に困窮している家庭の子どもが選ぶ職業とみなされた。
加えて、「病人や老人の世話、他人の下の世話=汚い仕事」という認識も根強かったため、“人の嫌がる仕事をする人”として哀れみや蔑みの目で見られることになった。
その当時のイメージを持ちつづけている高齢者がいまもときどきいて、私たちを不憫に思うらしいのだ。

現在においても、看護師は「きつい・汚い・危険」の3K職業の代表格のように言われている。
「汚い」は、「他人の排泄物なんか見たくない、触るなんてぜったい無理!」というところからきているのだろう。しかしながら、おむつ交換はエプロンにマスク、手袋をつけて行うわけで、私にとってはバイタル測定や採血や食事介助と変わらない、ケアや処置のひとつに過ぎない。
それに、見た目や臭いが不快なものを「汚い」とするならば、そういうものを扱う場面はほかにもいくらでもある。
尿道にカテーテルを挿入して採尿したり、肛門に指を入れて便を掻きだしたり、口や鼻から痰を吸引したり、嘔吐物を片付けたり、褥瘡(床ずれ)でえぐれた皮膚を石鹸で洗ったり。以前、「親の入れ歯でも気持ち悪くて触れない、洗えない」という患者の家族がいたが、こういう人はとても正視できないだろう。
というわけで血液や排泄物はなんともない私であるが、虫だけはだめ。壊死した足にわいた大量のウジを見たときはさすがにひるんだ。それでも鑷子(ピンセット)を握らなくてはならない……。
だから、排泄の介助など本当にどうってことないのだ。

昭和三、四十年頃は「なんで看護婦なんかになったの」「なんで看護婦なんか嫁にもらったんだ」と言われたというくらい、看護師の社会的地位は低かった。
が、時代は変わった。その「なんか」と言われた職業がいま、化学メーカーのクラレが毎年発表している「小学生の女の子の親が子どもに就かせたい職業ランキング」で、二十四年連続第一位である。
そしてやっぱり私も、子どもがトライやる・ウィーク(中学生の職場体験週間)で「病院」を希望しないかしらん……とひそかに思っている。

【あとがき】
看護師は9Kとも言われているそうで。3Kに加えて、給料が安い、休暇が取れない、婚期が遅れる、化粧がのらない、規則が厳しい、薬を手放せない、だとか。
ちょっとこじつけすぎですね。そうまでしてKを集めてこなくても……と思います。