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2021年02月18日(木) 命の衝動買い

知人の話である。出張から帰宅すると、見知らぬ犬が家の中を走り回っていた。驚いて立ち尽くしていると、「ねえ、かわいいでしょう!」と妻の声。
なんでも、遊びに来ていた孫を連れ、ペットショップに金魚の餌を買いに出かけたところ、ショーケースの中に一頭の子犬がいた。孫と一緒に見ていたら、店員が「抱っこしてみませんか」と声をかけてきた。
マンション暮らしでペットを飼ったことのない孫はクリーム色の毛に顔をうずめて大喜び。「おばあちゃん、この子飼いたい!」という展開になったのは言うまでもない。
たしかにめちゃくちゃかわいい。なだめつつも、こんな子が家にいたら楽しいだろうな。孫ももっと頻繁に遊びに来るようになるかもしれない。情操教育にもなるかしら……と心が揺れた。
そこで、家族と相談してあらためて来ると伝えたところ、店員は残念そうに言った。
「この子はすごく人気があって、問い合わせが数件入っています。次いらしたときにはたぶんいないと思いますよ」
そんなわけで、夫には事後報告になったらしい。

「しかも五十万したって言うんだよ。何考えてるんだって怒ったら、『これでも五万円値引きしてもらった、いい犬はそのくらいするもんだ』って開き直られたよ」
これを聞いて、「五十万を衝動買い!?」とその場が色めきだったが、私は別のことが気になった。
「ところで、そのワンちゃんはなんていう犬なんですか」
「ゴールデン・レトリバーだよ」
なるほど、ゴールデンの子だったら、まるまるコロコロしてそりゃあかわいいにちがいない。一緒に暮らしたら毎日がさぞかし楽しくなるだろうと思うのもわかる。
が、しかし。「犬は十年以上生きる」ことについてどのように考えたのだろう。
その知人は六十代なかばで、夫婦ふたり暮らしである。いまはぬいぐるみのようでも、たちまち成長して三十キロにもなるその犬を十年後も散歩に連れて行けるのだろうか。犬が年老いる頃、自分たちも八十近くになっているが大型犬の介護ができるのだろうか。
「突然連れて帰って、ご主人は反対しませんか?」
「大型犬なのでリードを引く力も強いですけど、お散歩は大丈夫ですか?」
「病気や入院でこの子の世話ができなくなった場合の後見人はいらっしゃいますか?」
なんてペットショップの店員は訊かないだろう。みすみす五十万の売上を逃すようなことはするまい。しかし、このゴールデンの子がショーケースの中でなく保護犬の譲渡会で見つけた犬だったなら、すんなり譲り受けることはできなかったはずだ。

初めて保護猫の譲渡会に行ったとき、「里親になれる人」の条件を知って驚いた。
五十五歳未満であること、独身者・単身者・共働き世帯・小学三年生以下の子どもがいる家庭は不可、身分証明書とマンション住まいの場合はペット飼育許可証の提示要、飼育環境確認のため自宅訪問可であること、玄関とすべての窓に脱走防止の柵を取り付けること、〇〇以上のグレードの餌を与えること、留守番は4時間以内、トライアル中は猫の様子を写真付きで毎日報告すること、適正な時期にワクチンや不妊手術を受けさせ、証明書を写メすること……などクリアしなければならない項目が盛りだくさん。別の譲渡会では、指定の三段ケージやトイレを購入するよう準備物品のリストを渡されたり、猫引き渡しの際に家族全員の立ち合いを求められたりしたこともある。
「猫愛が強いのはわかるけど、ハードルを上げ過ぎたら里親に応募できる人が少なくなって、結果的に幸せになれる猫が減ってしまうのにね」
と言うのは、長年猫を飼っている友人だ。フリーランスで仕事をしているが、収入が安定していないとみなされ、譲渡を断られたことがある。
たしかに一理ある。保護団体からのこまごまとした要求に嫌気がさし、結局ペットショップから猫を迎えたという人の話も聞いたことがある。
しかし、たとえばジモティーの里親募集のコーナーには、「募集に至ったやむを得ない事情」欄に「この春社会人になり、犬の世話が難しくなったため、かわいがってくれる人を募集します」とか「結婚が決まり引越すため、猫を手放すことになりました」と書かれてあるのが容易に見つかる。ACジャパンのコマーシャルによると、一年間に保健所に収容される十万匹の犬猫のうち、十五パーセントが飼い主からの持ち込みだという。
里親希望者をときにうんざりさせるほど細かい注文がつけられるのは、そのときの状況、そのときの感情だけで「飼える」と判断する人がそれだけ多いということだ。

知人の話に戻る。いまは夫婦ともに健康で、夫の収入があり、孫は「僕がせっせと通って世話をするから!」と言うかもしれない。しかし、その状況が十年後もつづいているか。
「この年齢から飼い始めたら、犬の寿命が来る前に体力的、経済的に飼育困難になる日が来るかもしれない。そのときは引き受けてもらえるか息子夫婦に相談してみよう」
「十年以上生きる犬をいまから飼うのは難しいかもしれない。でも犬ってかわいいもんだな。じゃあシニア犬ならどうだろうか」
などと思案するプロセスが必要なのだ。
最後まで面倒をみられるのかという点について慎重になってなりすぎることはない。五十万の衝動買いはちっともかまわないが、命の衝動買いはあってはならない。
外出自粛期間中、保護犬、保護猫の譲渡や保健所への問い合わせが増えているという新聞記事を読んだ。在宅時間が長くなり、癒やしの対象を求める人が増えたことが背景にあると書かれていたが、そのうち「コロナの影響で収入が減り、飼いつづけることができなくなりました」「出張が再開し留守番が長くなってかわいそうなので、手放すことにしました」といった書き込みがジモティーにあふれるんじゃないかと気がかりである。



上記のテキストを書いたのが、昨年の6月。文末に書いた「気がかり」は当たってしまった。
先日ネットニュースで、「コロナ禍によるペットブームの陰に“飼育放棄”」という記事を読んだ。安易に飼い始めたことから捨てられる犬や猫が増えているという内容で、もう本当に情けない。

【あとがき】
GACKTさんが2月10日に自身のYouTubeチャンネルで公開した動画「GACKTが愛犬を里子に出しました」が話題になっていますね。私も見ました。そして驚きました。
知人から、十数年間ともに暮らした犬を亡くした妻の落ち込みがひどく、自分で新しい犬を買うことができないという話を聞いて、「GACKTから、ということだったら妻は断れない。立ち直るきっかけになるのでは」と知人に提案し、サプライズで妻へ犬を贈ることにしたという内容ですが、その発想も実際の行動も私には理解困難なものでした。
悲しみが深すぎて、まだ新たな犬を迎える気持ちになっていない人に、「GACKTから無理やり犬をもらう」形にしてまで“代わりの犬”を飼わせる必要がどこにあったのか。動物の一生は飼い主にかかっている。このことを知る人は、動物を飼うことをそう簡単には考えられないはず。心の準備もできていないのに、突然「はい、どうぞ」と“命”を託されたら、どんな犬好きでも、いや犬好きだからこそ戸惑うだろう。そういう妻の心情を考えたのだろうか。
……などと思うところを書いていったら、たちまち一本のテキストになりそうだ。
GACKTさんはなぜ、自分の愛犬をプレゼントしたのでしょうね。本当に不思議。