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2011年08月04日(木) 電磁波問題(前編)

「帰省してるんなら、小町ちゃんもおいでよ」と声がかかり、結婚まで勤めていた会社の女子会に出席してきた。
仲良しだった同僚とは退職後もつきあいがつづいているが、多くの人とは十一年ぶりの再会である。それはもう懐かしく、話に花が咲いた。  
一次会の創作料理屋でオイルフォンデュを注文したら、卓上のIHクッキングヒーターが運ばれてきた。自分で揚げながら食べるらしい。そうしたら、店員さんがそれをテーブルに設置するのを見ながら同期の一人がつぶやいた。
「もしA子さんがこの場におったら、卒倒してたやろねえ」
すると、すかさず「ほんま、ほんま。『電磁調理器!?キャー、こんなもの持ってこないで!』って突き返してるか、『私から2メートル以上離して置いてちょうだいっ』って大騒ぎしてるよね」「けどそんな離れてどうやって揚げるん?」と声が上がり、どっと笑いが起こった。

A子さんというのは当時三十代前半の、一時期同じ部署で仕事をしていた女性である。楚々とした雰囲気のきれいな人だったが、それとは別の理由で社内では有名人だった。
というのは電磁波をとにかく嫌い、そのためにみなを困らせることがあったからである。
外出時にも会社の携帯は電源を切ったまま机の中に入れっぱなしのため、急ぎの用件があってもつかまらない。出張を命じられると、新幹線に乗りたくないばかりにいろいろと理由をつけてほかの人に行かせる。清掃当番になってもフロアに掃除機をかけてくれない。「モーターのついた家電には近づきたくない」とのことで、自宅にも掃除機はないらしい。彼女曰く、「人間ホコリじゃ死なないけど、電磁波では死ぬからね」。
電磁波防護ベストなるものを着用しているのだが、「だったら心配ないんじゃないの?」と誰かが言おうものなら、「じゃあ頭はどうするのっ。ほんとは三百六十度、全身包まなきゃ意味ないんだから!」と悲愴な面持ちで叫ぶ。
その姿がコミカルで少々迷惑を被っても憎めない人だったのだが、彼女と斜向かいの席になったときはさすがに閉口した。パソコンのブラウン管モニタの背面を自分の方に向けられるのを嫌がり、隙あらば隣近所のモニタの向きを変えてしまうのである。席を外して戻ってくると、必ず画面があらぬ方向を向いている。それを直すたび彼女の視線を感じ、やりにくいったらない。
その上、ことあるごとに、
「ドライヤーとか電動歯ブラシ使ってない?あれは頭を電子レンジにかけるのと同じだからね」
「コタツでうたた寝、なんて自殺行為だよ。え、ホットカーペットの上で赤ちゃんがハイハイ?それは虐待よ!」
などとまくしたてるので、周囲から「困ったサン」という目で見られていた。電磁波というものにまったく無頓着だった私もやはり彼女のことを「ちょっと変わってるなあ」と思っていた。

* * * * *


その会社を退職してからも、電磁波に注意を払って生活している人には何人か出会った。
親切心で忠告してくれることもあったが、私はそのたび「気にする人ってときどきいるんだなあ」と思うだけで、その後派遣社員として勤務した会社で妊娠中に上司から電磁波防護エプロンを勧められたときですら聞き流していた。
しかしそんな私が二ヶ月前、ある新聞記事を読んで初めてそれについて関心を持った。WHOの国際がん研究機関が「証拠は限定的」としながらも携帯電話の電磁波と発がんのリスクに因果関係があると発表した、というニュースである。
「耳にあてての通話を長時間つづけると脳などのがんを発症するリスクが高まる恐れがある」という内容に、私はどきっとした。もう何年も、目覚まし時計代わりに携帯を枕の下に敷いて寝ていたからだ。
そしてそのとき、ひさかたぶりにA子さんのことを思い出した。そういえば、携帯で話していると耳が熱くなるのは電磁波のせいだと言っていたっけ。「食品をレンジでチンすると熱くなるでしょ、それと一緒よ」と。
彼女の言葉を真に受けたわけではない。しかし、WHOが発がんリスクのランク分けで携帯電話の使用を五段階中、上から三番目の 「発がん性が疑われる」に位置づけ、電磁波が人体に害を及ぼす可能性を認定したというなら、家族の健康を預かる者として「何も知りません、興味ありません」ではいかんだろうと思ったのだ。 (つづく

【あとがき】
完成前から観光スポットになっている東京スカイツリーですが、A子さんがこれを見にくることはぜったいにないでしょうねえ。