2007年10月30日(火) |
エコ、エコ、と言うつもりはないけれど |
実家のそばに住んでいる妹の家に遊びに行ったときのこと。離乳食を作るのを眺めていたら、彼女がレンジを使うたび皿に半透明の蓋状のものをかぶせるのに気がついた。
「それってもしかしてラップの代わり?」
「そうそう、レンジ加熱用の蓋。百均で見つけてんけど、これええで。ラップがゴミにならへんし」
目から鱗が落ちた。私もつねづねラップの使い捨てをもったいないと思っていたのだ。
一度レンジにかけたくらいではくたびれることもない。が、表面についた食べ物の汁を洗い流し乾かしてまで再利用するのは面倒で、結局は捨ててしまうことになる。くしゃくしゃと丸めるとき、いつも「資源の無駄遣い」の文字が胸をよぎった。しかし、そんな便利グッズがあったとは!
今度百円均一の店に行ったら探すつもりだ。
ほかにも「ああ、なんてもったいない……」とつぶやかずにいられない場面は日常生活の中にいろいろある。
たとえば雨の降る日に外出すると、私は心穏やかでいられない。どの店の入り口にも「傘をお入れください」とビニールの袋が置かれているが、備え付けの箱に目をやると使用済みの傘袋であふれんばかりだ。客は店を出るときためらいなく捨てていくが、私はこれができない。
使用済みといったって、底に穴が開いているわけでなし泥水がたまっているわけでなし。私は他人が使ったものは苦手で古着や古本にも手を出さないのだが、こういうのは別で、新品を使うほうがつらい。よって箱の上のほうにあるのを取って再利用する。新しい袋を取らざるを得なかったり厚手の丈夫な袋だったりしたときは、そこで捨ててしまわずその日一日使うこともある。
貧乏くさいと言われようと、まだ使えるものをポイポイやるのは後ろめたくてだめなのだ。
もうひとつ、気が揉めてしかたがないことがある。
わが家の朝はいつもNHKの「おはよう日本」なのだが、先日めずらしく他局の番組を見て「ここもか……」とため息をついた。
ワイドショーのコーナーで大きなボードが登場し、みのもんたさんが紙を一枚一枚剥がしながら事件を紹介していたのだが、ジャカジャン!と派手な効果音を入れながらわざわざ紙をめくって伝える、こういう手法がいま流行っているのだろうか。会社の昼休みに見る「ピンポン!」でもじゃんじゃんめくっているし、「アッコにおまかせ!」もそう。
しかし、私はそれを目にするたびこう叫びたい衝動に駆られる。
「そのめくった紙はどうしてるんですか!?」
目隠しの紙は視聴者をじらす目的で貼ってあるのだろうが、どの番組でもそこにもったいぶるほどのことは書かれていない。私など紙の行く末が気になって内容なんて右から左だ。
隠す文言が変われば必要な紙の長さも違ってくるから、再利用などしていないに違いない。この時代にどうしてそんな無駄なことをするんですか、と意見を送ろうかなと本気で考える私だ。
* * * * *
このあいだの三連休、夫と温泉に行った。結婚記念日だったので奮発してちょっといい宿に泊まったのだけれど、夕食のとき仲居さんに「当館では『マイ箸運動』というのをしているので、よかったらご協力を」と言われた。客に持ち帰りできる箸を買ってもらい、その代金の一部をしかるべき団体に寄付して森林保護に貢献する、ということだ。
これを聞いて思い出したのは、割り箸は使わないことにしていると言っていた元同僚のこと。毎日自分の箸を持参し、食べ終えた後は給湯室で洗って箸箱にしまっていた。
そんな彼女に、
「でもねえ、割り箸って間伐材を使ってるから資源の無駄遣いじゃないんだよ。むしろ廃材の有効利用なんだよ」
と言う人もいた。現実にそうなのか私は知らない。が、たとえマイ箸が森林破壊にストップをかけるものでなかったとしても、ゴミを減らすことは「いらぬこと」であるはずがない。それに、旅行のいい思い出の品にもなる。
……と思ったのだが、一膳三千円したため手が出ず。残念だった。
エコ、エコと言って窮屈な生活をするつもりはない。けれど、タダみたいなものだからと「使い捨て」になんの疑問も持たない、気が咎めることもない、というのはどうなんだと思うことは少なくない。
【あとがき】 最近買い物に行くとマイバッグを使っている人をよく見かけます。レジ袋が有料のスーパーなんかだとマイバッグ率はものすごく高いですね。いいことだと思います。 このあいだレジ袋を取ったのに箱にお金を入れない人がいたので、アラ……と思っていたら、連れに「1枚5円やで」と言われていました。そうしたらその女性、「ええんよ、最近袋の材質変わったやろ。前より薄うなって弱なってるんやから」だって。すごい理屈だ。 |