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2007年07月24日(火) それは高望みなのだろうか。

内館牧子さんのエッセイに、定年になった夫と一日中顔を突き合わせる生活が苦痛でしかたがないと訴える主婦が出てきた。
夫は仕事一筋の人だったのでこれという趣味も友人もなく、退職してからというもの日がな一日家でテレビを見ている。そのため自分は友人を呼ぶこともできないし、昼ごはんを作らないわけにいかないので外出もままならない。なにをするでもなくごろごろしている夫が鬱陶しくて、顔を見るのも嫌になってしまった、という内容だ。
妻が一方的に夫を避けるようになったために熟年夫婦の仲がうまく行かなくなってしまった、という話はちょくちょく耳にする。つい先日も読売新聞の人生相談欄で三十代の女性の、
「入院中の実家の父が近々家に戻れそうなのですが、肝心の母が父の退院を拒んでおり、困っています。帰ってきたら面倒を見なくてはならないので、習い事や趣味がしづらくなることが不満なようです。父が倒れるまでは本当に仲の良い夫婦だったのに、どうしてこんなふうになってしまったのか」
という悩みを読んだばかりである。

そして、こういう話をまったくの他人事として聞いてきた私であるが、最近はこれまでほどお気楽ではいられなくなった。というのも、私にも少し前から心に引っかかっていることがあるからだ。
先日実家に帰省した際、父と母と私の三人で夕食をとりながらなにかのきっかけで阪神大震災の話になった。うちの実家は半壊したのだが、当時私は大阪でひとり暮らしをしていたため、家族が味わった恐怖や不便を知らない。しかし昼間は家の片付けをし、夜は近くの小学校の体育館で眠る日が続いたと聞いていたので、「本当に大変だったね」というようなことをとくに深い意味はなく父のほうを向いて言ったところ、母がピシャリと言った。
「お父さんがなんの苦労を知ってるかいな。一番大変なときに家におらんかったんやから」
父の職場は西宮だったのだが、三ノ宮より先の交通手段がなくなっていたため実家からの通勤は無理。それで父はそれが復旧するまでの一ヶ月ちょっとの間、私のマンションで生活をした。母はそのことを指して「お父さんはなんの苦労もしていない」と言っているのだ。
しかし、私にはその真意がまったくわからなかった。たしかに父は地震後まもなく私のところに来たので、学校に配給の水やパンをもらいに行ったり、余震の怖さを味わったりは母ほどはしていないだろう。けれども、それはやむを得ないことだったのだ。父は会社勤めのサラリーマンではなく、非常時こそ休めない職業である。「足がなくて通えないので、自宅待機してます」なんてわけにはぜったいにいかない。
そのことは誰よりも母が承知しているはずではないか。
食卓の雰囲気をそれ以上壊したくなかったので反論はしなかったが、私は「いったいなにを言っているんだ」とかなり憤慨した。
しかし、次の日になっても胸の中に釈然としないものが残っていたので、私は母とふたりでお茶を飲んでいるときに言ってみた。
「あんな言い方はよくないよ。お父さんがかわいそう」
責める口調にならないよう気をつけたつもりだったのだが、母はむっとしたらしい。
「でも、ほんまのことなんやから」
と開き直ったような答えが返ってきた。まるで自分が間違っているとわかっていながらも意地を張って謝らない子どもみたいだ。そんな“すねた”母を見たことがなかったので、私はひどく驚いた。
が、さらにショックだったのは、
「だいたいね、お父さんには思いやりってものがないんよ」
「まじめと言ったら聞こえはいいけど、庭いじりくらいしか趣味がない、お酒も飲めない、やもんね」
「肝心のときに頼りにならない。もっと男らしい人が私には合ってたんとちがうか」
と続いたことである。
体が丈夫なほうではない母を気遣って、娘が家を出てからは毎日夕食の後片付けは父がしている。食事の支度と洗濯以外の休日の家事も父の担当だ。子どもの頃は私と妹の面倒をよく見てくれたし、祖父母(母の親)のことも自分の親のように大切にしていた。娘の目には「思いやりがない」と評されなくてはならないような人ではないのだ。
それに、お酒を飲まないことを甲斐性なしのように言うのだって相当おかしい。
有名人のカップルが別れたり離婚したりすると、芸能界の“ご意見番”が必ずああだこうだコメントする。それを見るたび、「バカバカしい。原因とか事情なんて当事者にしかわかりっこないでしょうが」とつっこまずにいられない私であるが、その「夫婦のことは夫婦にしかわからない」という原則は自分の両親についてだけは当てはまらないと思っていた。
三十五年も娘をしているのだ、親のことは私が一番よく知っているのだからなにかあればそりゃあわかるわよ、と。そして、ずっと「うちの両親は仲がいい」と信じて疑わなかった。
しかし、実際は私はなにも見ていなかったのか……?
つい口をついて出たその場限りの愚痴というより、以前から胸に溜め込んでいた不満が顔を覗かせた、というふうに私には感じられた。あれは母の本音なのだろうか。

この一件以来、私は両親の会話に耳をそばだて、母の口調に尖ったものがないかを確かめるようになった。
母とスーパーに買い物に行けば、父のためのおやつをカゴに入れるか。「行ってらっしゃい」「ありがとう」「おかえり」を言っているか。父が二階の自室にこもっている時間が以前より長くなっていないか。冴えない表情をしていないかに視線を走らせる。
三十を過ぎた娘が親の夫婦仲を心配してやきもきするなんて過保護のような気もする。でも、私が両親に望むことはふたつしかないんだもの。いつまでも元気で、ふたり仲良くいてくれること。
でも、これって実はけっこうな高望みなのかもしれない。

【あとがき】
もちろん熟年離婚とかそんな心配はしてないですけど、どうせ一緒にいるのなら幸せに平穏に暮らしてほしいじゃないですか。ねえ。