過去ログ一覧前回次回


2007年06月08日(金) 「親身になる」ってむずかしい

朝、夫と一緒に家を出たら、いつもよりだいぶ早く会社に着いてしまった。まだ誰も来ていないだろうなと思いながら休憩室に行ったところ、A子さんがひとりでお茶を飲んでいた。
えらく早いねと声をかけたら、最近はこのくらいの時間に出社しているのだという。混んだ電車がつらくて……と言うので、家が遠いと大変だなあと思ったらそうではなかった。
「しばらく前から体調が悪くって。夜もよく眠れないし、動悸とかめまいもするし。なんにもする気が起きないから、会社に来るのがほんとしんどくて」
「えー、それ心配やん!病院行ったん?」
「ううん、たぶん更年期障害だから」
あんまり体がえらいので、七月以降の派遣の契約を取り消してもらえないか訊いてみようと思って……ということだった。
更年期障害の症状の程度は個人差が大きいそうだが、ひどい人の苦痛は大変なもののようだ。テレビで木の実ナナさんが自殺まで考えたことがあると言っていたし、私の母も乗り切ってから「あの何年間かは本当につらかった」と話してくれた。そういうことなら無理はしないほうがいい、今日にも会社に話してみたら?とA子さんに言った。

とそこに、B子さんがおはようとやってきた。
いつも一緒にお昼を食べる仲良しグループの中で一番若い女性であるが、なになに、なんの話?と訊くので、A子さんが「これこれこういうわけで六月いっぱいで退職しようかと思って」とさきほどの話を繰り返したところ、彼女は無邪気に言った。
「更年期障害ってよく知らないけど、生理が終わるやつだっけ?」
卵巣の働きが低下するために女性ホルモンのバランスが崩れ、さまざまな不快症状が現れる。じきに閉経が来るのでB子さんの言うことは間違ってはいないのだが、「私なんかすっごい生理重いから早くなくなってほしいわあ!」と続けたのには驚いた。
三十なかばの私にとっても更年期はまだ先の話という感じだから、二十代の彼女がそれを自分のこととして考えたことはもちろんないだろう。しかしそれにしても「生理がなくなると楽になっていいね」とはあまりにも思慮のない発言である。
私の友人に四十になった直後から更年期が始まった女性がいる。結婚後に夫と始めた店がなかなか軌道に乗らず、子どもを先送りにしているうちに更年期に入ってしまったのだ。彼女の「こんなに早く更年期が来るなんて思わなかった……」の裏側には私の想像など及ばない、さまざまな思いがあるに違いない。いや、子どもの有無にかかわらず閉経を迎える女性の気持ちというのは、B子さんがイメージしているような「はー、これでせいせいだわ」で片付けられるものでない場合も多いのではないか。
A子さんは黙って聞いていたが、
「ふうん、頭痛とか耳鳴りとかもあるんだあ、大変。けどそういうのって気のもんってとこもあるだろうし、仕事してたほうがかえって楽なんじゃない?」
とB子さんが言ったとき、
「でも、ほんとにつらいもんなんだよ」
と言って席を立ってしまった。

B子さんに悪気などないのはわかっている。けれどもA子さんがむっとするのは無理もない。
肉体的、精神的苦痛の渦中にあるとき、周囲に理解してもらえないことのもどかしさ、悔しさは誰にも覚えがあるだろう。下手にお気楽なセリフで励まされたり慰められたりすると、「なんにもわかってないくせに……」と言いたくなるものだ。すでにそれを克服した人の言葉なら説得力もあるが、更年期についてろくに知りもしない若い女性に「気のもん」と言われたら、そりゃあカチンとくるだろう。
あと十年、十五年して更年期を迎えたときのことを想像すると、私はいまから暗澹たる気分になる。ふだんから体調を崩したり心配事があったりで夫に不安を訴えても、「ふうん、そうなんだ」でおしまい。三十秒後には別の話を始めてしまうので、「この人はどうしてこうなんだ」とむなしくなることがしばしばあるのだ。
更年期障害で悩まされることになったとしてもなにかを期待することはできまい。


だが一方で、「親身になる」というのがものすごくむずかしいことであるのも承知している。他人の心を察するとか、悩みに寄り添うとか。それは口で言うほど簡単なことではない。
じゃあ同じ立場にあるとか同じ思いを味わったことがあるとかいう人としかわかり合うことはできないのだろうか?いや、そんなことはないと思いたい。
先日、電車の中でバッグにマタニティマークのキーホルダーをつけた女性を見かけた。そういうものがあることは知っていたが、つけている人は初めて見たなあと思っていたら、近くにいた女子高生のひそひそ声が聞こえてきた。
「なんでわざわざあんなんつけるん」
「さあ?うれしがりなんちゃう」
彼女たちはもちろん妊娠の経験などなく、つわりのつらさも満員電車でおなかを押される不安も味わったことがないだろう。けれどもう少し、「想像力」と「思いやる気持ち」があってもいいんじゃないか。
経験のなさはこの二つでだいぶカバーできる。

【あとがき】
「親身になる」ができてない人からのアドバイスや励ましって結局自己満足のようなもので、ありがたくもなんともない。人の気持ちを理解するってほんとむずかしいことだけど、私も「もし私だったらどうだろうか」と自分のことに置き換えながら、誰かの気持ちに近づければいいなあと思います。