2007年03月20日(火) |
限られた出会いの中で |
駅のホームで花束を抱えた女性を見た。同僚らしき人たちと一緒にいるところを見ると、おそらく退職か転勤かで職場を去るのだろう。
電車に乗り込んだら、今度は髪をお嬢様結びにした袴姿の女性が紙袋から大きな花束をのぞかせていた。こちらは卒業式だったようだ。
「三月だもんなあ……」
私も今週送別会の予定が入っている。私の職場は派遣社員が多いためふだんから入れ替わりは激しいのだが、三月は特に退職者が多い。正社員として就職するためだったり夫の転勤について行くためだったりで、今月末で終わりという人が六人もいる。
その中に特別仲の良かった人はいないが、それでも「たぶんもう一生会うことはないんだろうな」と思うとしんみりした気持ちになる。三十余年生きてきて、見送ったり見送られたりは数え切れないほどしてきたけれど、「さよなら」の場面には慣れることができない。
私の派遣社員生活もこの春で丸六年になる。いくつもの会社を渡ってきたが、ひとつ忘れがたい思い出がある。
新しい社員がやってくるまでの半年間という契約で勤めた会社を去る日のこと。その朝、私はふだんより三十分早く家を出た。机の片付けや掃除をしておこうと思ったのだ。
もちろんまだ誰も来ていないと思ったら、営業の若い男性がひとりすでに仕事を始めていた。
「今日はずいぶん早いですね」
声をかけて席に向かった私はイスの上の見慣れぬ紙袋に気がついた。
中にはきれいな群青色のひざ掛けが入っていた。肌触りがよくてとても温かそうだ。でもこれ、なんだろう?誰かが席を間違えたのかしらん。
と思ったら、紙袋の底にメモ書きを見つけた。
「短い間でしたが、いろいろありがとうございました。感謝の気持ちとして受け取っていただければ幸いです」
私は驚いて、こちらに背を向けて座っている彼を見た。
不憫になるほど真面目でお人好しな人。日本でも有数の偏差値の高い大学を出ていながらここに入社してきたところにも世渡り下手が表れている。そんな“不器用”に服を着せたような人が、たった半年で去って行く通りすがりのような派遣社員のために心を砕いてくれるなんて……。
頼まれると嫌と言えず、いつも山ほど雑務を抱えているのを見かねて手伝ったことが何度かあった。もしかしたらそんなことを覚えていたのかもしれない。
いつも営業の男性は朝出社するとすぐに外出し、彼らが帰社する頃には私はもう帰宅している。そのため彼はその日誰よりも早く来て、私の席にそっと包みを置いてくれたのに違いない。
それはかなり勇気のいることだったのではないかと思う。私がふだん通りに出社していたらその紙袋は誰かが先に見つけていたかもしれないし、私が人前で開封していたかもしれないのだ。
「○○さんっ」
声をかけておきながら次の言葉が出てこない。
「僕、こういうの苦手で……どうしたらいいかよくわからなかったんですけど……」
その困ったようにはにかんだ顔を見たら、涙がこぼれそうになった。
人が一生のうちに出会う人の数は三万と言われている。
しかしそのほとんどは、ほんの一時関わりを持っただけで行き過ぎる人たちだろう。共通の思い出も特になく、そのうち名前すら記憶から消えてしまうくらいの儚いつながり。
忘れられない存在になったりずっと付き合いが続いたりする人はその一パーセントにも満たないかもしれない。
たとえ自分が関西から出ても、たとえ日記をやめても、失いたくないと思う関係があるなら、それが当たり前にそこにあるうちにせいぜい大事にしなくてはな……。
“はいからさん”の花束を眺めながら、電車の中でそんなことを考えた。