年下の友人が結婚することになったので、お祝いの会を開いた。
料理のオーダーを済ませるなり、彼女のお相手の写真が回ってきて座が盛り上がる。学生時代の仲間で卒業以来連絡をとっていなかったのだが、街で偶然再会したのだという。
「運命ってやつよねえ……。で、どっちが先に好きになったの?」
「どちらからともなくって感じですかねえ」
「じゃあ付き合おうって言いだしたのは?」
「いや、それがそういう言葉はなかったんですよね」
月一回のペースで会って食事をしていたのが徐々にその間隔が短くなってきて、今日に至っている。結局、「付き合って」とは言っても言われてもいないので、二人がいつの時点で“友人”から“恋人”になったのかは自分でもわからないのだ、と彼女。だから彼と会うようになって半年くらい経った頃、母親に付き合っている人はいるのかと訊かれ、「ビミョーやなあ……」と大まじめに答えたら、すぐに見合いをしろと言われたそうだ。
が、これが幸せな展開を生んだ。彼女も宙ぶらりんの状態が続いていることに不安を感じていたため、思いきって彼にその話をした。そして、「あなたはこの先、私と付き合う気はあるん?ないんなら……」と言おうとしたとき、彼が慌てた様子で言った。
「ビミョーってどういうこと?俺らって付き合ってないの!?」
彼女は驚いて訊き返した。
「えっ!私ら、恋人なん?付き合ってるん?」
「俺はそのつもりやったけど」
「そ、そうやったんや……」
彼女は安堵して泣いてしまったそうだ。
私自身は過去に付き合ったどの男性とも、最初に「付き合ってください」「はい、喜んで」があったので、「私は彼のなんなの?」「付き合ってるって言えるのかしら……」で悩んだことはない。
しかし、それがなかったという話はちょくちょく耳にする。それどころか、「そういえば『好き』って言われたこともないかも……」なんて人までいてびっくりしてしまう。私にとってそれは、あってもなくてもいいプロセスではない。
「当たり前に家に行ったりセックスしたりする仲になったら、告白めいた言葉がなくとも“付き合って”いて“好き合っている者同士”に決まっているじゃないか」
という声が聞こえてきそうだけれど、後輩カップルの例でもわかるようになにをもって付き合っている、いないと解釈するかは人によってかなり違っている場合がある。極端なことを言えば、一度もデートしていないのに付き合っていると思い込む人もいれば、「ベッド」ありの友人関係というのもあるのだ。
私なら、相手と付き合っていると言えるかどうかくらいはわかるような気はする。その自信がなければ深い仲になったりはしない。けれども、余計な心配や万一の認識違いを避けるためにもそこのところははっきりさせておきたい、という思いは理解できる。
そしてもうひとつ、これが私が始まりに言葉を欲しがる理由なのだが、「けじめ」の意味合いである。
ある男性と恋をした。でも彼は私に「好きだ」とは言ったが、「だから付き合ってほしい」とは続けなかった。ぜったいに別れない、と頑として話し合いに応じない彼女とのことを解決するまで、自分にはそれを口にする資格がないと思っていたのだろう。だから私のほうも彼とどんなに親密になっても「付き合っている」と思うことはなかった。
その後別れ話が決着して、「俺と付き合ってください」とあらたまって言われたときは本当にうれしかった。「きちんと、ここから始めよう」と居ずまいを正すような彼の気持ちが伝わってきたから。
男と女が付き合うとは、責任を負い、負わせる関係になるということ。その場面では「私はあなたが好きだから、そういう二人になりたいです」「はい、私も同じ気持ちです」という意思表明を、私はしたい。そして、「あえて言わなくてもわかるじゃないか」という男性より、そのやりとりに意味を感じる男性のほうが好きである。
それなしでも恋愛を始められるのはわかっているが、「いただきます」を言わずにごはんを食べ始めるみたいで、なんだかぴんとこない。
こんな私は芸能人が結婚会見で、
「プロポーズの言葉、ですか?長い付き合いですので、これといってはなかったですね」
なんて言っているのを見ても、へええ!と思う。
「結婚してください」は、私にとって式より指輪より結婚に必要なものだ。年頃の男と女が付き合っていればそういう方向に話が進むのは自然の流れではあるが、好きな相手とであっても大変な覚悟のいることだし人生最大の行事でもあるのだから、プロポーズはきちんとしてほしいと私は恋人に願う。
面倒くさくても照れくさくても、どんなにわかりきったことでも。日頃の「ありがとう」も含めて、気持ちを言葉にして伝えることをおろそかにしちゃいけないと私は思っている。