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2006年10月18日(水) 思い出の国語の教科書作品

わが家の新聞を日経に変えてからというもの、読む意欲がめっきり減退してしまった。
なぜなら日経には読者投稿欄がない。それを読むのが私の朝の日課であり楽しみであったのに……本当に悲しい。
なので、いまは毎日新聞の「女の気持ち・男の気持ち」はネット版を、読売新聞の「気流」はお昼を食べに入った店に置かれているのを見つけると貪り読んでいる。

さて、そんなふうにして読んだ昨日の読売新聞に、「小学生のとき、母が誕生日に『小公女』の本をプレゼントしてくれ、以来本の虫になった」という主婦の文章が載っていた。
わかるなあと相槌を打つ私。むかしから本が大好きで、国語と道徳の教科書はもらったその日に最後まで読んでしまう子どもだった。いまこんなふうに文章を読んだり書いたりを趣味にしているのも、小さい頃に両親が本をたくさん与えてくれたからだと思っている。

* * * * *

教科書といえば、先日同僚たちと飲みに行ったときのこと。子どもの教科書に「ごんぎつね」が載っていて懐かしくてつい読んでしまった、という話が出た。
「新美南吉、だっけ?」
「そうそう、授業中にかわいそうって涙ぐむ子おったなあ」
「最後、兵十が土間にかためて置いてある栗を見つけて火縄銃をぽとりって落とすねん。私も泣いたわ」

そこから話題が「国語の授業で習った印象に残っている作品」になった。題名を思い出せずともあらすじを話しはじめると、
「“おきゃんなせっちゃん”は『どろんこ祭り』!」
「ゆみ子の“一つだけちょうだい”は『一つの花』」
なんて声がすかさずあがる。みな年齢が近いためか、思い出の作品はかなり共通していた。たとえばこういうもの。

「チックとタック」(千葉省三)
夜中の十二時になるとボンボン時計の中から出てくる二人の子ども、チックとタック。ある日台所にあった巻き寿司をつまみ食いしたら、わさびがたっぷりで口の中が大変なことに。以来、時計が「ヂッグ、ダッグ」と音を立てるようになっちゃった……という話。
挿絵の巻き寿司がすごくおいしそうだったのを覚えている。

「やまなし」(宮沢賢治)
クラムボンってなに?やまなしってどんなの?と当時ずっと疑問に思っていた。カニのお父さんが川面にぷかぷか浮かんでいるやまなしを見上げながら、「じきに沈んで、ひとりでにおいしいお酒ができるよ」と子どもたちに言う場面では熟した果物の甘い香りが漂ってくる気がしたっけ。

「手ぶくろを買いに」(新美南吉)
「このおててにちょうどいい手ぶくろください」
帽子屋の戸の隙間からもれる電燈の光がまぶしくて、思わず母ぎつねが化かしてくれた人間の子どもの手ではないほうの、本当の手を出してしまう子ぎつね。帽子屋さんが優しい人でよかった、と全国の子どもたちがほっとしたに違いない。

「スーホの白い馬」(モンゴル民話)
モンゴルの草原で暮らす心優しい少年スーホと大の仲良しの白馬。が、白馬があまりに見事なので殿様が奪い取ってしまう。スーホに会いたい一心で逃げ出した白馬は家来が放った矢を受けながら懐かしい家にたどり着くが、そこで息絶える。
嘆き悲しむスーホ。すると、夢に白馬が出てきてこう言った。
「泣かないで、スーホ。私の体を使って楽器を作ってください。そうすれば私はいつもあなたのそばにいられます」
という由来を聞いたからだろう、私の中で「馬頭琴」は寂しげな音色というイメージだ。

「大造じいさんとガン」(椋鳩十)
利口なガンの頭領「残雪」のせいで一羽のガンも捕まえられなくなってしまい、いまいましく思っていた老狩人、大造。
が、大造じいさんがガン狩りの際におとりに使おうと飼い馴らしたガンがハヤブサに襲われたとき、残雪が助けに現れる。大造じいさんは「思わぬチャンスが来た」と残雪に狙いを定めるが、やがて銃を下ろしてしまう。
「おうい、ガンの英ゆうよ。おまえみたいなえらぶつ(えらいやつ)を、おれはひきょうなやり方でやっつけたかあないぞ。なあ、おい。今年の冬も仲間を連れてぬま地にやって来いよ。そうして、おれたちはまた堂々と戦おうじゃあないか」
この話もぐっときたなあ。

ひとつだけ、誰も題名を覚えていない作品があった。乗り降りする客がひとりもいない砂漠の駅に勤める三人の駅員さんの話。
あるとき、ひとりずつ休暇を取って旅に出ることにした。ひとりは汽車に乗って西へ、もうひとりは東へ。三人目は砂漠を歩いて出かけ、オアシスを見つける。そこでもいできたオレンジを二人にお土産に持って帰る------というストーリーなのだが、「オアシス」という言葉の清涼感とみずみずしいオレンジのイメージが私の中に鮮明に残っている。二十年も前に読んだ話だというのに。

こうして挙げてみると、教科書は名作の宝庫だったのだなあとつくづく思う。

* * * * *

……という話を夫にしたところ、「スイミー」と「チックとタック」を知らないと言うからびっくり。たとえ教科書が違っても、このふたつは日本の小学校を出た人なら誰でも知っている話だと思っていたよ。
そういえば、八月にアムステルダムのアンネ・フランクの隠れ家を訪ねたとき、夫はペーターの写真を見て「アンネの弟?」と真顔で言った。「アンネの日記」を一度も読んだことがないと聞いて、ええっ!?教科書に載っていなかったらしい。
給食の献立と同様、国語の授業で習った作品も学校によってけっこう違っているのだなあ。
さて、みなさんはどんな話が記憶に残っていますか。