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2006年09月20日(水) 架空の記憶(前編)

大学時代の後輩が来春結婚するというおめでたいニュースが入った。
「相手は名古屋の人らしいよ」
「じゃあ披露宴は派手なんやない」
「二次会には呼んでくれるかな」
と友人と盛り上がっていたら、六年前の私の結婚式のときの話になった。横浜での式に彼女は大阪からはるばる来てくれたのだ。
「あのときはほんまありがとう。あんな遠くまで来させて申し訳なかったわ……」
「ええってええって、ひさしぶりに東京の友だちにも会えたし。それに、あんたの式はどこであろうがぜったい出るつもりやったから」
ぐっときて目をしばたたく私。なんていい友人を持ったんだろう。私もあなたのときはどこへでも駆けつけるからね……。
と胸の中でつぶやいていたら、彼女が感慨深げにこうつづけた。

「私、いままでたくさんの結婚式に出席してきたけど、披露宴であんなによく食べる花嫁さんって初めて見たわー」

え、いまなんて?思わず訊き返す。
「ああいう場って緊張して食事なんか喉も通らんってなりそうやのに、小町ちゃん、モリモリ食べててびっくりしたもんね」
その様子を思い出したかのように笑いだした彼女を見て、私は目をぱちくり。
なぜなら私は披露宴のあいだ料理にはまったく手をつけていなかったからである。入れ替わり立ち替わり誰かがひな壇まで来てくれて写真を撮ったり話をしたりしていたし、友人たちによる出し物も多かったので食べている暇がなかったのだ。
それなのに彼女は「あんたほどよく食べる花嫁さんは見たことがない」ときっぱり。私はたまらず抗議した。
「いったいどんな目してんのよっ。私、あのとき一口も食べてへんで」
すると、彼女はきょとんとして「えー、食べてたやん。『小町ちゃん、余裕やなあ』って感心したん覚えてるもん」。
冗談じゃない、ナイフとフォークには指紋すらつけていないというのに!

同じ場に居合わせながら、正反対の形で存在する記憶。
私の記憶が正しいことは証明されている。私が料理を手つかずで残していたため、ホテルの人が気を利かせて式の後、部屋に運んでくれた。それを食べている写真がアルバムに貼ってあるのだ。
が、そこまで言っても彼女は「そんなはずはない、私は見た」と納得しない。いったいどんな記憶力をしているんだ、信じられない。

* * * * *

……と憤慨しながら思い出したのは、大学時代に付き合っていた男の子と何年かぶりに再会したときのことである。付き合い始める少し前の“友だち以上恋人未満”だった頃の話になった。
「いまもよう覚えてるわ。A子が帰ってくる前の晩に会ってて俺が帰るとき、おまえ玄関のとこで『彼女のとこに戻るん?』ってポツンと言うたやろ。その顔がほんまに悲しげで、俺はそれ見て、こいつをひとりにはできんって思たんや」
彼が遠い目をして言うのを聞いて、私はポカン。えっ、誰が泣きそうな顔をしてあなたを引き止めたって?

彼とはゼミが同じで、前期試験終了の打ち上げの帰りにマンションまで送ってもらったのをきっかけに親しくなった。
彼には別のゼミに入学当初から付き合っているA子さんという彼女がいたのだけれど、夏休みいっぱい帰省のため京都を留守にしていた。それで彼は暇だと言うし、私には彼氏がいなかったので、レンタカーでドライブをしたり電車に乗って遠出をしたりしてよく遊んだ。
そして彼が言うには、A子さんが明日京都に戻ってくるという夜、私が目を潤ませながら彼女のところに行くのかと訊き、彼はそれで情にほだされて私を選んだ、というのである。

しかし、私の脳内アルバムにそんなシーンはまったくない。当然だ、そんなことが起こるわけがないのだから。
「なに言うてんの、あなたが私を先に好きになったんやんか」
私は思わず叫んだが、これは本当のことである。
後期が始まってしばらくしたある日、突然彼が家にやってきた。どうしたのかと思ったら、
「いま、A子に別れてほしいって言ってきた」
と言うからびっくり。
「ケンカしたんか?なにがあったか知らんけど、早まったらいかん!あなたみたいなワガママでエラそうで遊び人な男に付き合ってくれる忍耐強い女の子なんてそうそう見つからんよ」
そう言おうとしたとき、彼が言った。
「A子と別れたからって小町ちゃんからオッケーもらえるかどうかなんかわからんけど……でもそうせんと挑戦もできんやろ」

そのとき私は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたと思う。
その時点で、彼は私にとって付き合うとかどうとかいうことから一番遠いところにいる人だった。というのは、「遊んでいる」というイメージが強かったから。なんせ打ち上げの後、家まで送ってくれたはいいが、別れ際にいきなりキスしてきたような人なのである。
当時、好きなタイプは?という質問には必ず「誠実な人」と答えていた私。彼については「友だちとしては最高、でも恋人になったらぜったい苦労する。女関係で泣かされる」という評価だったから、夏のあいだ中会っていてもまったく対象外だった。
だから私は心の中で叫んだのだ。
「そんな、別れられても困るわよお!」
だって、うちじゃ引き取れない。

……はずだったのだが。
「いっぺんに持って帰れないから、しばらく置かせて」
自宅生の彼が彼女の部屋から引き上げてきた荷物を持ってうちに来たとき、彼の目が真っ赤だった。歩きながらいろいろな思いが込み上げてきたのだろう、なんの非もない彼女につらい思いをさせてしまったという気持ちもあったろうし、二人で過ごした日々を思い出したのかもしれない。長いこと付き合っていたのだから当然だ。
ゼミで委員長をしている彼は目立つのが大好きで、イバりんぼで、かっこつけで、本当にかっこよくて。その人が泣いている……。ふだんからは想像できないその姿を見たら胸が締めつけられ、私も一緒に泣いた。
というわけで、誰がなんと言おうと「情にほだされた」のはこちらなのだ。 (つづく