スピッツのプロモーションビデオを見ているところに夫が帰ってきた。
そういうことに異常に疎い彼がなんというバンドかと訊くので教えたところ、名前は知っていたらしい。ふうんと頷いたあと、ボーカルの草野さんを見て、おごそかに言った。
「なんか、地味な人だね」
たしかに、華やかとかアグレッシブといった印象を与える人ではない。内に熱いものを秘めていそうではあるけれど、ぱっと見は温厚でおとなしそうな感じ。だから、そういう形容もできるかもしれない。
でも、私はこういう雰囲気の男性はかなり好きである。
……と言ったら、夫がえーと声をあげた。
「こんな内気そうなののどこがいいの?クラスにいたら、『……あ、オマエいたの?』って言われるタイプじゃん」
ひ、ひどいっ。
まあ、たしかにあまり目立たない生徒だったんじゃないかという気はするけれど……。
が、次の瞬間ふきだしてしまったのはほかでもない、そう言う夫が同じ系統のルックスをしているからだ。
彼に初めて会ったとき、「まあ、なんておっとりとして優しそうな人なの!」と思った。友人を家に連れてくると誰もがそう言い、「中身はぜんぜんちゃうねんで」と言っても信じてくれない。見た目だけは柔和でおとなしそうな、草食系なのだ。
おまけに童顔。新婚旅行は客船に乗って大西洋を横断したのだが、ディナーのとき隣席になったアメリカ人に「お父さんとお母さんは(別のテーブル)?」と訊かれていたくらいである。その人は夫のことを十七歳くらいの少年だと思っていたのだ。
いくら日本人は幼く見えるとはいえ、もうすぐ二十八になろうという男が高校生と間違われるとは……と夫はかなりショックだったらしい。
しかし、私でも「かわいい」と思う顔をしているのだから、年配の外国人の目にそう映るのも無理はないかもしれない。
フォローのつもりでそう言ったら、「かわいくなんかない!」とむくれてしまった。
男性に「かわいい」は褒め言葉にならない、とはよく聞く話だ。「そう言われてもちっともうれしくない」と彼らは言う。
その理由はなんとなく想像がつく。「子どもっぽい」と言われたような気がするからだろう。男扱いされていない、場合によってはなめられている、バカにされているとさえ思えて、喜べないのではないだろうか。
たとえば、ふだんクールな男性が甘えたところや無邪気なところを見せると、そのギャップに愛しさを感じる。それが「かわいい」の成分であるが、たしかにその瞬間、女性は保護者のようなまなざしをしている。
しかし、だからといって「褒められている」と認識してもらえないのはとても残念。男性が女性に対して「かわいいとこあるじゃん」と思うとき、決して相手を見下しているわけではないだろう。それと同じで、百パーセント親愛の情なのだ。
男として見ていないということもまったくない。たとえば、私は草野さんが歌っている姿に「なんか、かわいい」と微笑んだ数秒後、「セクシーだなあ……」とため息をつく。
とはいうものの、その表現を歓迎しない男性が少なくないとわかっているので、許されそうな相手にしか言わないことにしている。
男性は「どうせなら“カッコイイ”と言ってほしい」と言うけれど、それはむずかしい。だって、「かわいい」と「カッコイイ」はまったく別物だもの。
母性本能がくすぐられ、思わず顔がほころぶ、ぎゅっと抱きしめたくなる……。そのニュアンスをほかの言葉で伝えることはできない。
「キモかわいい」と言われたらむっとしてもいいと思うが、ただの「かわいい」だったときは素直に受け取ってもらえるとうれしいなあ、というのが本音である。
ちなみに、「カッコイイ」であるが、私はあまり使わない。
ストレートすぎて面と向かって言おうとすると照れてしまうし、それに表面的でちょっと軽い感じがしないでもない。そこにいない誰かについて「彼、カッコイイよね」なんて言うことはあるけれど、本人に向かって言うことは少ない。
そのかわり、誰かに「あなたのそういうところを気に入っています」を伝えたいときは「すてき」を使う。
「カッコイイ」よりもっとさまざまなものを含んだうえで魅力的だと思っていることを伝えられそうな気がする。この言葉が好きだ。