※ 前編はこちら。
ホテルの部屋に戻り、夫に言う。
「そんな話が出てるんやったら言うてくれんと。心の準備がいることなんやから」
「でもまだ決まったわけじゃないし……」
「それでも話しといてほしい。結果が違ったってぜんぜんかまわんのやし」
生まれも育ちも関西の妻に自分の実家方面に転勤になりそうだとは言いだしにくかったのだろう。喜ばないとわかっている知らせを早々と伝えるのはしのびなかったのかもしれない。
でも、私には大事なことだ。
いま私が住んでいるところは転勤族が多い地域で、職場にも夫の転勤で遠方からやってきた女性がたくさんいる。私は彼女たちが先の見通しが立たない生活の不便やつらさについて口にするのを何度となく聞いてきた。
「どんな家にも対応できるように家具は最低限しか持てない。ピアノなんかぜったい無理だし、ペットも飼えない」
「誰かが家買ったなんて話を聞くと、ほんとうらやましいって思うよ。でも買っちゃったら夫の単身赴任決定でしょ、それが家族の幸せなのかなって考えたら決心がつかない」
「そうそう、子どもを私立の中高一貫校に入れるなんて選択肢もないもんね」
「でも夫の転勤にどこまでもついていくのがいいかはわからないよ……。うちの子、五年生で小学校三つめなのよね。これまではまだ小さかったからよかったけど、この先は受験がからんでくるし、転校のストレスも大きくなってくることを思うと、これからも“家族一緒”を優先することが最善なのかなって悩んでしまう」
私の夫が勤める会社も全国に支社がある。とはいうものの、金融業界に勤める人ほど短いスパンで転勤があるわけではないので、私は「転勤族の妻」ではない。
けれども、春と秋の異動シーズンが来るたび祈るような気持ちになるのもいまいる場所に根を下ろせないのも同じだから、彼女たちの苦悩はかなり親身に感じることができる。
しかし私がさらにリアリティをもって想像するのは、縁もゆかりもない地で生活する心許なさについてである。
私には関東在住の友人は見事にいない。いま私はしょっちゅう誰かとごはんを食べたり家に遊びに来てもらったりしているけれど、日常のそういう楽しみはいったいどうなるんだろう。
行った先で友人をつくればいいって?それは口で言うほどたやすいことなんだろうか。私は彼女たちの話を聞きながら、すっかり大人になってから気心の知れた友人をつくることのむずかしさを思うことがある。
人見知りさえしなければ、「顔を合わせたら楽しく話せる」程度の知り合いはすぐにできる。しかし、電話でたわいもない話をしたり家でお茶をしたりできるほど気兼ねのいらない関係を得るにはやっぱり時間がかかるみたいだ。子どもがいなかったり仕事をしていなかったりすると、とくにそのきっかけがないらしい。
私は大学も就職も関西で、大阪に転勤してきた夫と知り合って結婚したから、いままで関西の外に住んだことがない。つまり、人生のどの時点でも“既存”の友人がまわりにいたため、努力してまで誰かと仲良くなろうとか人間関係を広げようとか考える必要がなかった。新規の友人は「自然にできる分」で十分だった。
しかし、見ず知らずの地でそんなふうに無欲でいたら新しい友人ができるのはいつになるやら……なのかもしれない。
そしてそれまでの間はかなりさみしいのではないだろうか。それがどういう感じなのか、いまの私には想像がつかない。
そんなことを考えてしんみりしていたら、「筋肉痛になってませんか?」と義妹からメールが届いた。なってる、なってると苦笑しつつ読み進むと、こんな一文があった。
「育児の合間に英語のリスニングとドイツ語の日常会話を勉強中です。でも学生時代の英語は吹っ飛び、一からやり直しで、ドイツ語はちんぷんかんぷん……」
私はちょっとはずかしくなった。
彼女は来年から夫の海外赴任についてドイツに行くことが決まっているのだ。友人がいないどころか言葉も通じないところへ、しかも赤ちゃんを抱えて。その大変さに比べたら、いま私が漠然と不安に感じているようなことはあまりにもささいなことではないか……。
親の年齢を思うと実家から離れることは本当に気がかりである。でもそれ以外のことはきっと、がんばればなんとかできるのだろう。
そう自分に言い聞かせつつも。
「まあ、人事異動なんていうのは蓋を開けてみるまでわからないものだしね」
とつぶやく、往生際の悪い私。
(でももしそうなったら、関東在住の読み手のみなさん、どうぞいま以上によろしくね……)