林真理子さんのエッセイにこんな話があった。
週刊誌の連載エッセイを文庫化するにあたり、何年前も書いた原稿に赤を入れる作業をしていたらおもしろい発見をした。夫ととても仲がよいのだ。夫婦ゲンカをしたという話も出てこない。そういえばあの頃、夫がいまよりずっと優しかったことを思い出した……という内容だ。
思わずふきだす。私は林さんの文章が好きで文庫化されたエッセイはすべて読んでいるが、言われてみればなるほど、夫についての描写が結婚当初といまとではずいぶん違っている。
「うちは結婚以来『家庭内恋愛』をずっと続けている」
「空気というにはあまりにも甘やかな存在が、夫という男である」
といった一文が出てくるのは、十年以上前に書かれたエッセイ。夫とのたわいのない会話も温かく、林さんが満たされた結婚生活を送っているのが伝わってきたっけ。
で、いま読んでいるのがここ数年で書かれたものを集めた最新のエッセイ集。その中には、最近日記をつけはじめたら一年の三分の二、夫婦ゲンカしていることがわかったという話や「夫選びこそはずれたが……」というくだりが出てくる。
もちろん、それには“ポーズ”がおおいに入っているだろう。夫は私をガミガミ叱ってばかりいる、離婚話が出たことも一度や二度ではない、なんて書かれてはいるけれど、本気で夫選びを失敗したと思っているふうには読めない。
とはいえ、「私は結婚する前の優しい夫よりも、今のワガママ夫の方がずっと好き」と臆面もなく書いていた頃とはえらい違いなのはたしかである。
とまあ、ひとしきり人様の「夫のいる風景」の変遷について思いをめぐらせた後、私はでは自分はどうかと考えてみた。
五年前に書いた日記を読み返しながら、愕然とする。
「げっ、うちもだいぶ変わってる……」
数日前のこと。夜中にふと目が覚めると、隣りに夫がいない。
時刻は午前三時。私が寝るとき、夫は居間でソファに横になってテレビを見ていた。あらら、そのままうたた寝しちゃったのね。風邪を引くといけないと思い、私は眠い目をこすりつつ布団から出た。
が、居間のドアを開けると部屋は真っ暗。テレビもちゃんと消えている。ソファにも姿がない。トイレはもちろん、お風呂の蓋まで開けて探したがどこにもいない。
神隠しに遭ったみたいだ、と呆然としていたら。客間から人の気配が。
わが目を疑った。開けた引き出しも閉めないほど横着な夫がわざわざ押し入れから布団を出してきて、そこに寝ていたのである。私が寝ているあいだに彼の心の中になにが起きてそのような事態になっているのか、まったくわからなかった。
次の日その理由を尋ねたところ、夕食の最中に口論になったことを寝るときまで引きずっていたことがわかった。しかし、私は納得するどころかものすごく驚いた。
たしかに、あることについての意見の食い違いからちょっとした言い合いになった。が、雰囲気が悪くなったという程度のものである。
結婚生活五年半のあいだに別々に寝たことは二、三度ある。が、いずれも歴史に残る大ゲンカをしたときのこと。私にとってそれはよほどのことがあったときにしか考えられない行動なのだ。
まさかあれしきのことで「一緒には寝られない」と考えるとは……。
そして思ったのは、「以前の彼はこんな安易な解決の仕方はしなかったよなあ」ということだ。
不愉快なことは不愉快であると、我慢ならないときは我慢ならないと表明してくれた。そうするとケンカに発展することも多いが、互いに思っていることを言い合うことができた。こんなふうに相手になにも伝えず、ただ時が腹の虫をおさめてくれるのを待つようなやり過ごし方はしなかった。
ふいに、最近めっきり夫婦ゲンカをしなくなったと言う友人たちの言葉を思い出した。
「だってケンカするのって体力いるやん。家でイライラするのも嫌やし、めんどくさいし……。だったらこっちが折れればいいやって思っちゃう」
正面からぶつかってよりよい関係をつくろうとするより、しんどくないほうを選ぶ。つまりは妥協、あきらめ。
夫の中にもそういう気持ちがあるのだろうか……と考え込んでしまった。
* * * * *
けれど、変わったのは夫ばかりではなかったのだ。
そのことに、私は先日の「話は最後まで聞いて。」にいただいたメッセージを読んで気づいた。
うちのオットもよく「○○でね〜。」「あー、分かった!それで××なんでしょ?でさ、こないだ△△がね…。」と話を続ける事があるんですよね。小町さんはそこで萎えちゃってお話が止まっちゃうのね。 私の場合一通り話を聞いてから「で、さっきの話なんだけど、最後まで話してもいいかな?興味が無くて聞きたくないなら、もう止めとくけど…。」と言ってます。友達や会社関係なら波風立てる事も無いかなーとも思うんだけど、いかんせん「オット」な人は一生お付き合いする相手なので、「そういう事されるのは嫌なのよ。」という意思表示をしておかねば!と…。 |
「いかんせん『オット』な人は一生お付き合いする相手なので……」
本当にそのとおりだ、と思った。
途中で話をやめたのに続きを促されなかったとき、私は「聞いてないんならもういい」と思い、そのまま終わらせた。けれど、「話をちゃんと聞いて」「そういうことされるのは好きじゃないの」を相手に伝えようとしないというのもまた、結婚生活における立派な妥協ではないか。
「ハイハイって聞いていればもめずにすむしね」と言う友人に、そういうのってなんか悲しいと思っていたのに、いつしか自分も同じようになっていたなんて……。ああ、これではいけない。
とにかくケンカの多い夫婦だけれど(林さんのところにはかなわないが)、ぶつかり、こすれ合っているうちに次第に角がとれて丸くなった、そんなふたつの石にいつかなれるかなあ。