十五日付けの読売新聞の読者投稿欄で、四十代の主婦の、
「子どもの頃、卵とバナナは高級品だった。お弁当に卵焼きが入っているととてもうれしかったし、バナナはお見舞いの品の代表格だった」
という文章を読んだ。
卵がそうだとは知らなかったが、バナナがごちそうだったというのはある年代より上の人からよく聞く話である。
先日読んだ内館牧子さんのエッセイの中にも、幼少期に食べたくて夢にまで見たものとして「バナナ」が挙げられていた。甘食が二個で五円、アンパンが一個十円の時代にバナナは一本百円したそうだ。
けれども、私にとってバナナといえば安い果物というイメージ。近所のスーパーでは果物市の日は一房四、五本のものが百円で買えるのだ。そのため、
「遠足の日にお母さんがバナナを持たせてくれると、友達に少しちょうだいと言われないよう背を向けて食べた」
「おみやげにバナナを買ってくると言って出掛けた父親が、高かったからとお菓子を買って帰ってきたときはショックで泣いた」
といったエピソードを読んでも、ふうーんという感じ。バナナを持ってお見舞いに行くなんてぜんぜんぴんとこない。
きっと若い人たちは、先日の給食話アンケートの中の「もう一度食べたいおかずNo.1は鯨肉のノルウェー風」「いやいや、鯨肉といえば竜田揚げでしょう」という回答を読んだとき、こういう感覚だったのだろうな。
ところで、私の子ども時代に「バナナ」にあたる食べ物はあったのだろうか。
考えてみたけれど、そこまで渇望したものは思い浮かばない。妹がいたのでいつも半分こ、という量的不満足はあったものの、どんなものでも食べる機会はあった。
とはいえ、食いしん坊だった私には食べ物に関する思い出がかなりある。
幼稚園の頃、お向かいのナオコちゃんの家に遊びに行き、ふたりで「クリープ」を一瓶食べたときのことはよく覚えている。ナオコちゃんに勧められて一口食べたら、あまりのおいしさにびっくり。大きなスプーンを代わりばんこに突っ込み、瓶を空にしたときおばちゃんが帰ってきた。叱られるかと思ったら、大笑いされたっけ。
母がお菓子を作ってくれるときにいつも一、二滴垂らすバニラエッセンス。バニラの甘い香りがするあれをどんなにかおいしいものなんだろうと思っていたので、あるときこっそり舐めてみたら、苦くてまずくて驚いた。
風邪で寝込んだとき、母に食べたいものはあるかと訊かれると、必ず「レディーボーデン」と答えた。当時、高級アイスクリームといえばレディーボーデン。いつも食べている五十円アイスとはぜんぜん違う濃厚な味。ここぞとばかりにねだったなあ。
母によると、子ども用風邪薬のシロップをボトル一本(三、四日分)一気飲みしたこともあるらしい。そうそう、あれはオレンジ色をしていてとても甘くて、ジュースみたいだったんだ。
また、アイスキャンデーなんかを食べながら歩いていて転んでも、私はそれを握った右手は天高く掲げ、ぜったいに砂をつけなかったとも言われた。
妹にはそんな武勇伝はないというから、私ばかり食い意地が張っていたのね……。否、子どもというのはそういうものではないだろうか。
夫はリンゴがすごく好きで、剥けば際限なく食べる。このあいだ義母とその話になったとき、「○○(夫)はジャガイモの皮を剥いてても、その音を聞いて隣りの部屋から飛んできたのよ」と言うのを聞いて、なんだ、私と同レベルじゃないかあ!と思った。
その旺盛な食欲というか食い意地というかがめっきり薄れたのは、ひとり暮らしを始め、食べるものを自分で選べるようになってからだ。
「大人になると、“ごちそう”がなくなったよね。食べようと思えばいつでも食べられるから、特別なメニューってべつにないもん」
と友人が言う。
たしかに、子どもの頃は外食がとても楽しみで、チョコレートパフェやエビフライ、ステーキやお寿司……というふうに「ハレのメニュー」がはっきりあった。
自分で作ったお弁当の蓋を開けるとき、「どんなおかずが入ってるかな」というわくわく感はない。スーパーで買い物をするのも調理するのも自分なら、帰り道に「今日の晩ごはんは何かな」と予想する楽しみも当然ない。
なんでも思いのままに手に入るようになることで、失うものもあるんだなあ。
でもその代わり、大人になって得たごちそうもあったけれど。
ファーストフードのハンバーガーでも自宅でお茶漬けでも、缶ジュース一本でもいいの、「好きな人と食べるごはん」が最高のごちそう。
何を食べるか、ではなく、誰と食べるか。
大人になってからの食べ物の思い出には、いつも誰かが登場する。