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2006年03月16日(木) 左利きのストレス(後編)

※ 前編はこちら

前回の日記に「私は左利きです」とメールをくださった方の中に、会ったことのある方が二人いらした。
何度もお目にかかっているにもかかわらずどうして気づかなかったんだろうと思ったら、どちらのメールにも「矯正されたのでお箸は右です」と書かれていた。なるほど、それなら気づかないのも無理はない。

最近はどうかわからないが、私が子どもの頃は左利きの子は必ずといっていいほど周囲の大人によって矯正を試みられた。小学一年生のとき、クラスの男の子が「鉛筆はこっちの手でしょ」と先生に始終注意されていたのを覚えている。
同僚がしみじみ言った。

「『右使え、右使え』って親より先生がうるさいくらいで、学校行くん嫌やったわ。べつに左でもええやんかってずっと心の中で反抗してたもん」
「あはは。それでいまもコテコテの左利きなわけね」
「いや、実は右もけっこう使えるねん。図工の時間に絵の具のパレットがどうやっても持ちにくくて、でも絵を描くん好きやったからしょうがなく右に筆持つようにしたら、だんだん右手も使えるようになってん。それからは先生の前では食べたり書いたりは右でしてた」

そうか、そうやって左利きの子は右手も使えるようになっていくんだなあ。
小学生の頃、左利きにちょっぴり憧れていた。右利きの子が左でも字を書けるということはまずないが、左利きの子は右でもオッケーということがめずらしくなかった。どちらの手でも字を書けるというのがうらやましかったのだ。
というのは、当時毎日の国語の宿題に「百字帳」という漢字練習があったのだけれど、両手が使える彼らは私が一ページ書くあいだに二ページ書けるのに違いないと思い込んでいたから(実際に両手に鉛筆を持って左右のページに同時に字を書くことができるのかどうかは知らない)。

けれども、私が「宿題を人の倍のスピードで片付けられていいなあ」と羨望のまなざしで見ていた彼らは、別のことでは人知れず苦労をしたり不便を強いられたりしていたのだ。
同僚は利き腕を右にするためにそろばん塾に通わされたという。あれは左手でそろばんを持ち、右手で珠を動かさなくてはならない。右利きの子はすんなり指使いをマスターするのに彼女はなかなか思うようにできず、たいそう苦痛だったらしい。
いただいたメールの中にも、習い事で困惑したという証言がいくつかあった。
ひとつは習字。私は初めて知ったのだが、たとえば「一」という字を書くとき、右利きは左から右に手を動かすが、左利きは右から左なのだそう。鉛筆ならそれでもかまわないが、毛筆には「とめ、はね、はらい」があるため、筆は必ず右手で持たなくてはならない。それがものすごく大変だったようだ。
もうひとつはピアノ。
「どうして?弦楽器なら利き腕が違ったら教えてもらいづらそうとかボーイングに難があるのかなとか想像できるけど、ピアノには右利きも左利きもないんじゃないの?」
と思ったら。左利きの人は左手のほうが筋力があるため、右手より左手の音が大きくなってしまうのだという。なるほど、メロディー(右手)より伴奏(左手)のほうが目立ってしまうのはちょっとまずい。



ふうむと考える。もし子どもが左利きだとわかったら、私はどうするだろう。
自然のままにさせてやりたい気持ちはあるけれど、やっぱり右を使って生活するようしつけるのではないか。箸や鉛筆は「これはこっちの手で使うもの」と右手に持たせるような気がする。

私が子どもの頃、大人たちが子どもの左利きをなんとかしようと躍起になったのは「人と違うのはいけないこと、恥ずかしいこと」という頭があったからではないかと想像する。しかし、右利きが「正しい」というわけではないだろう。前編に書いたような不便はあるとはいえ、ふつうに生活する分には深刻な問題があるとは思えない。
それならどうしてかというと。低い可能性ではあるが、将来医者や料理人、演奏家といった細かい手先の動きを求められる仕事に就くことを望むことがあったときに不利になるのではないかと思うから。
箸を持ったりマウスを操作したりくらいのことはこなせても、医療器具や調理用具、楽器といったデリケートなものを利き腕でないほうの手で扱うことは非常に難しいだろう。道具だけでなく現場の機械や設備、マニュアルも右利きの人用に作られている。となると余計な苦労をしなくてはならない。ときにはなにかをあきらめなくてはならないようなことも起こるのではないだろうか……。
宇宙飛行士の野口聡一さんは左利き。ディスカバリー号の機体補修のための船外活動の際、メインの作業をスティーブン・ロビンソン飛行士が担当し、野口さんがサポートに回ったのはシャトルに搭載されている工具が右利き用で野口さんには扱いづらかったため、という話は有名だ。

* * * * *


というようなことを考えた後、左利きの人が集まっているmixi内の掲示板を覗いたら、こんな投稿を見つけてびっくり。

僕は保育園の頃、毎日ランチの時間に「スプーンは右手で持ちなさい」と先生に怒られていました。それで、「右手があるからいけないんだ!」とジャングルジムから飛び下りて右手を骨折させたことがあります。それを見て、親は矯正をあきらめました。


ひゃー!そりゃあきらめるわ……。
改札を通るときの不便さも知らなかったが、この矯正の苦痛もまた右利きの人間は持たない経験なのだよなあ。