「あんたが結婚しようがしまいが、興味ないっつうの」
友人がぷりぷりしている。
今年の正月、彼女の元に昔付き合っていた男性から結婚報告を兼ねた年賀状が届いた。六年間も音信不通だったのに突然「結婚しました」と連絡がきたものだから、ハァ?という気持ちになったらしい。そこに添えられていたコメントも面白くなかった。
「『君も早くいい人を見つけてね』やって。これって馬鹿にしてない?大きなお世話やわ」
まあまあとなだめつつ、気分を害すのも無理ないかあ……と考える。彼にそんなつもりはなかったかもしれないけれど、不用意な言葉ではある。
彼女がいまも独身だということを共通の知人から聞いて知っていたのだろう。が、素敵な恋人がいて最高にハッピーな日々を送っているかもしれないし、もしかしたら婚約中かもしれない。仕事が面白くて、結婚はまだいいわと思っていることだってありうる。しかし、彼はそういう可能性をまるで思い浮かべなかったらしい。
* * * * *
ところで、かつての恋人に「結婚しましたハガキ」を送ろうとする人の気持ちが私にはよくわからない。
いまも友人や同僚として付き合いが続いているということなら話は別だが、接点はとうに失われている。なのにどうしてわざわざ?
人生の一時期を共に過ごしたといっても別れて以来連絡を取っていないのであれば、ほとんど「他人」に戻っている。すっかり新しい生活を送っている相手になんのために知らせるのだろう。
私が付き合っていた男性からそれを受け取ったことは一度もないが、もしあったならがっかりするのは避けられなかっただろうな。
「あなたには結婚してほしくなかった……」という話ではない。
私はいつも別れた人とは連絡を断つ。こちらからは電話もメールもしないし、同窓会以外の場で再会することもない。だから、別れた日から一度も話していない、会っていないという人のほうが多い。そんな私のところにハガキが送られてくるとしたら、かなり不自然なことなのだ。
ふうんとつぶやいた後、私はそれが自分の元に舞い込んだ理由を考えるだろう。
たとえば、私と彼がきっぱり切れておらず微妙な関係であり続けていたなら、彼はそれを送ることによって「もう終わりにしよう」を暗に伝えようとした……ということも考えられる。けれど私の場合、その線はない。
となると、「私にまで連絡してくるなんてよっぽどうれしかったんだなあ」、ちょっぴりシニカルな言い方をすれば「舞い上がっちゃったのね」ということになりそうだ。付き合っていた女に妻の写真(結婚式のケーキカットのシーンが定番)を披露するセンスもちょっとなあ……。
“がっかり”とはそういう意味だ。
結婚しましたハガキを送ることに比べたら、結婚が決まったことを報告したくなる気持ちのほうがまだ理解しやすい。実際、式の前に連絡を取って伝えたという話はよく聞く。『北の国から』のれいちゃんも式の前夜、純に電話をしていたっけ。
私のところにもメールが届いたことがあるが、突然なんなのよ?と鼻白むようなことはなかった。そうか、結婚するんだ……としみじみとなり、しばらく当時のことを思い出した。
その後また何年かして再び彼からメールが届いたので、どうしてあのとき私にそれを伝えようと思ったのか訊いてみた。
「会いたかってん」
と彼は言った。
それ以上は訊かなかったけれど想像するに、家庭を持つことの責任やプレッシャーが迫ってくる中で、人生でもっとも自由でお気楽だった大学時代のことが心によみがえったのではないだろうか。その時間を一緒に過ごした私と最後にもう一度会うことで、気ままな独身生活も終わりだといよいよ自覚しようとしたのかもしれない。センチメンタルな気持ちもきっとあっただろう。
こういう感情に動かされ、つい連絡をしてしまったという話なら、私もシンパシーを感じることができる。
ひとりは離婚し、ひとりは父親になり、ひとりは結婚が決まっている。ほかの男性の現在はまったく知らない。
でも、それで十分。風の便りに消息を聞けば「どうしているだろう、元気にしているかな」と束の間思い出す……そのくらいがちょうどいい。
もう、過ぎたことだもの。