手提げカバンから伸びるチョコレート色の毛糸。向かいに座る制服姿の女の子は私の視線にも気づかず、長い編み針を淡々と動かしている。
「彼氏の誕生日が近いのかしら。あ、そうか、バレンタインかもね」
仕事帰りの電車の中で、十五年前にタイムスリップする。
ああ、懐かしい。私も高校生の頃はこうして学校の行き帰りにせっせと編んだものよ……。
というのは真っ赤なうそ。なにを隠そう、私は編み物ができないのである。
と言ったら、たいていの人は「そういうの、嬉々としてやりそうなタイプなのに」と意外そうな顔をする。しかし、私がやったことがあるのは「リリアン」だけだ。
私の母はたいていのことは器用にこなす人だった。しかし中学だったか高校だったかのとき、「編み物だけは教えてあげられないからね」と言い渡された。母もしたことがなかったのである。
だからマフラーやらセーターやらを編めるという人がいると、私は心の中でハハーとひれ伏してしまう。
「やったことないだけで、やりゃあ私にだってできるわよ」と思えればそんなふうにはならないのだが、やってみようという気すら起こらない。休み時間にせっせと編んでいるクラスメイトを見て、「いいなあ、そういう相手がいて」とは思えども、「私も編んでみたい」とは思わなかった。この時点で、彼女が私にはないものを持っていることを認めざるをえない。
大学時代、とても好きな男の子がいた。ある日、講義室で隣り合った彼がおしゃれなセーターを着ていた。
色はアイボリーで、衿のところにくるみボタンが三つ。細身で長身の彼にとてもよく似合っていた。
「まっ、素敵なセーター」
「サンキュ」
会話はこれでは終わらなかった。恋愛事となると私は異様に勘が働くのだ。
「……ねえ、そのセーター」
「ん?」
「もしかして彼女の手編み?」
彼が地元に恋人を置いてきていることは知っていた。彼よりふたつ年上で、中学時代から付き合っていて、スレンダーな美人らしい。それでも私はめげることなく、「そばにいればチャンスはめぐってくるわ」と思っていた。
しかし、彼の「お、ようわかったな」を聞いたときのショックは大きかった。相手がこんな素敵なセーターを編める女性だったなんて……。
私にとってそのことは単にセーターを自分で編めるか編めないかの違いという話ではない。ひと目ひと目こつこつと、それは育むように編まれたものに違いない。編み物には見向きもしないできた自分と彼女とでは内にある細やかさというかしとやかさというか……そう、「女性らしさのようなもの」の差を思い知らされたような気がしたのである。
初めて「かなわない」と思った。私は好きな人にはいつも自分から気持ちを伝えるのだが、彼にはそれができなかった。
そのときの名残か、私は編み物好きの女性に出会うと無条件に「魅力的な人だな」と思うのである。
実を言うと、私がだめなのは編み物だけではない。
主婦にとっての「さしすせそ」は裁縫、しつけ(子育て)、炊事、洗濯、掃除であるが、「しつけ」を除いた四つの中で、私がだんとつで苦手なのは「裁縫」なのである。
中学・高校時代、夏休みの宿題で最後まで残すのは家庭科の課題だったし、手芸用品店に足を踏み入れたことも数えるほどしかない。レベルとしては、一般的な男性の料理の腕(カレーしか作れない)くらいのものではないだろうか。
そりゃあ必要に迫られればボタンをつけたり、スカートの裾上げをしたりはする。が、そうでなければランチョンマットひとつ自分で作ろうとはしない。
同僚が頭を抱えている。今月中に「スモック」を作らなくてはならないらしい。
「子どもが学校行きだすと、これ作ってこい、あれ作ってこいって言われてほんま困るわ……」
彼女も裁縫が大の苦手で、笛のケースと給食袋は同級生のママに頼んで作ってもらい、座布団と手提げカバンは手作り風のものを買ってきたという。しかし、「パパのお古のワイシャツを再利用して作ったスモック」はさすがに人にはお願いできないし、どこの店にも売っていない。
「勘弁してほしいわ、うちらの母親の時代とは違うんやから」
という彼女のぼやきに深く頷く。
母は編み物こそしなかったが、私と妹の服はよく作ってくれた。学校で使うものに名前を刺繍してくれたりもしたし、ドアノブや電話、ティッシュのカバーといった小物も手作りだった。しかしいま既婚の友人たちに訊いても、家にミシンがあるというのはひとりもいない。
親は自分が持っている以上のものを子どもに与えることはできない。
先日テレビで、この頃は漬物や梅干を家で漬けず、店で買うものと思っている主婦が多いとやっていたが、次の世代ではその傾向はさらに強まっているだろう。同じように、いまの子どもたちが大人になったときには「主婦のさしすせそ」の中で裁縫が極端に弱い女性の割合は現在以上に高まっているに違いない。
そういえば、アップリケをした服を着た子どもを長いこと見ていない気がする。いまの若いお母さんは子どものズボンの膝が破れたらどうしているんだろうか。