十二月に入って急に寒くなり、月曜には初雪が降った。
この時期に友人と会うと、必ず出るのが「温泉でも行かない?」という話。休みやお金の都合で実現する確率はせいぜい半分であるが、どこそこ温泉はどう?なんとかって旅館がいいらしいよ、なんて相談をするだけでも楽しい。
年明けにふたつ、計画中だ。
温泉といえば、昨日の読売新聞の投書欄に四十代の主婦の文章が載っていた。
子ども会で一泊旅行に出かけたら、子どもたちが全員バスタオルを巻いて湯に浸かっている。そんなに恥ずかしいの?と尋ねたら、「テレビでこうしているから」という答え。自分たちにとっては誰に教わることなく自然と身につけた常識でも、いまの子どもにはそれぞれの家庭できちんと教えていかなくてはならない……という内容だ。
つい一週間前、私は同欄で別の人が書いた「旅番組の入浴姿 マナー違反助長」と題された文章を読み、「テロップなんか入れなくたって、裸を映すわけにいかないからタオルを巻いてるんだってことくらいわかるよおー」と突っ込みを入れていた。
しかし、私が言うまでもないと思っていたことは、子どもたちにとっては“言うまでもあること”だったのだ。
いや、子どもだけではないか。温泉やスパワールドのような公衆浴場に行くと、えっと驚くようなことをする大人をたくさん見かける。
ガラガラと引き戸を開けて入ってきたと思ったら、そのままジャボン!奥に洗い場があるつくりのときやカランが空いていないときは体を洗ってからというわけにいかないのはわかるけれど、かけ湯をして入るのは常識中の常識ではないか。
バスタオルを巻きつけて湯船に入っている人を見たことはさすがにないが、ハンドタオルならいくらでもいるし、長い髪を泳がせている人もしかり。
今年初めに長野の扉温泉に行ったとき、のんびりと露天風呂に浸かっていたら、若い女性の四人グループが入ってきた。職場の同僚らしく、部署への土産はなににする、有休はあと何日だ、といったことを大きな声で話しはじめた。脇を流れる渓流のせせらぎは瞬く間にかき消された。
また、私は自宅以外の場所でシャワーを使うときは必ず温度調節の目盛りの位置を確かめてから蛇口をひねる。なにも考えずにひねったら、いきなり水が出てきてひゃー!ということが何度かあったからだ。
洗い場で水を使ったら湯温を元に戻しておく、そんなの当たり前のことじゃないか……ぶつぶつ。
しかし、もっとも憤慨したのは青森の十和田温泉に行ったときのことだ。
屋内の温泉だったのだがものすごく広くて、浴場内に大きな木が何本も生えている。なんでこんなところに桜が!?と目を丸くしていたら、近くにいた若い女性ふたりが写真を撮りはじめたのである。
めずらしいお風呂だから記念に残そうと持ち込んでいたのだろう、カメラをあちらこちらに向け、湯に浸かっている周囲の人が一緒に写ってしまうことなどまったく頭にない様子。
気の強い私の友人が注意をすると彼女たちは手を止めたが、ここまでものを考えない人がいるのかと本当に驚いた。これじゃあ立ったまま湯をかぶったり、洗い場で盛大に泡を流したりする人がいるのも当然だわね。
脱衣所でも事態は同じ。
体を拭かずに出てマットや床をびしょびしょにする、扇風機を専有する、ドライヤーは使いっぱなし(それどころか、私が通っているスポーツクラブには「ドライヤーを持ち帰らないでください」の貼り紙がある)、素っ裸でマッサージチェアを使用する……。
そばで若い女性が一服しはじめたときはあわてて部屋に戻った。洗いたての髪や体にタバコの匂いをつけられてはかなわない。
* * * * *
先日、作家の出久根達郎さんの講演会でこんな話を聴いた。
古本屋の見習い小僧だった頃、銭湯の湯に浸かっていたら、後から入ってきた八十歳くらいのおじいさんに「ヒエモノでちょっとごめんよ」と声を掛けられた。意味がわからず、店に帰って辞書で調べたら、江戸時代、明治時代に冬場に銭湯の湯船に入るときに使われたあいさつ言葉とあった。
「冷えた自分の体が入ることでちょっと湯の温度を下げてしまうよ、すまないね」という意味だ。
何事におけるマナー違反も、その多くはそれがマナーであると知らなかったからではなく、想像力の欠如で起こる。
私たちは「冷えものでごめんよ」の精神を、少し見習ってもいいんじゃないだろうか。