2005年11月18日(金) |
ジャパニーズ・ビジネスマンに愛を込めて。 |
月曜の朝、夫を送り出してリビングに戻ると、テーブルの上の一冊の文庫本が目に留まった。読み終えて、夫が出張カバンの中から出して置いていったのだろう。
夫婦で本を共有することはほとんどない。夫が読むのはビジネス書っぽいものばかりなので、私の食指は微動だにしないのだ。けれど、そのときはつい手に取った。表紙のイラストになんとも言えぬ哀愁が漂っていたのである。
長ネギが飛び出したスーパーの袋を下げた背広姿のオジサンがチラッと後ろを振り返り、涙目で「さびしくなんかないやい!」。
いったい何の本かと思ったら、重松清さんの『ニッポンの単身赴任』とあった。
ぱらぱらめくってみる。さまざまな理由で「単身で赴任すること」を選択した二十人のサラリーマンに取材したルポルタージュだそうだ。
なになに、「単身赴任」に相当する言葉は英語にはない?うん、そうだろうなあ、そういえば「過労死」もなかったよねえ。
……ところで、夫はなんでこんなの読んでたのかしら?
本格的に読んでみたところ、孤独や不安と闘いながら家族のために、自分のためにひたむきにがんばるお父さんたちの姿に思わずほろり。
四畳半一間の部屋に酒屋さんから譲ってもらった日本酒のケースを二十個並べ、「ベッド」を作るお父さん。ちゃんとしたベッドを買わないのは、「必ず家族のところに帰るんだ」という思いからなのか。
またあるお父さんは、週末に帰省したときは月曜の朝五時に家を出て、新幹線で赴任先に戻る。前夜に戻っておいたほうが体は楽なのだが、「週末ぐらいはゆっくり家族と過ごしたい。日曜の夜に家族と別れてあわただしく戻るのは、やっぱりつらい」。
四十年、五十年生きてきた“大の男”でもやっぱり家族と離れていると寂しくて、毎日真っ暗なアパートに戻るのは嫌なんだなあ……と胸がきゅっとなった。
人はつい、自分が育った家庭がスタンダードであると錯覚してしまう。会社の休みが土日でないとか、平日は子どもの寝顔しか見たことがないというお父さんが世の中には少なくないことを私が知ったのは、それほど昔のことではない。
私の父は毎日判で押したように十九時に帰宅する人だった。飲んで帰ってくることもなく、夕食は家族四人で一緒にとるのが当たり前。物心ついたときからそうだったから、私は長いあいだ、「お父さんとはそういうもの」と思っていた。
だから大学生のとき、先に卒業、就職した彼が日付が変わるくらいの時間まで残業したり、休日出勤したりしていることを知って、本当に驚いた。
社員に対して非人間的な扱いをする、なんてひどい会社なんだ!そう思っていたら、次に付き合った人の働きぶりも似たようなものだった。
ためしに周囲に訊いてみたら、
「子どもの頃、晩ご飯はいつもお父さん抜きだった」
「お父さんは私が起きてる時間には帰ってこなかった」
「休みは土日じゃなかったから、どこかに連れて行ってもらったりした記憶はあまりない」
という人はいくらでもいた。そうだったのか……!
父のような“お父さん”を見つけるほうがむずかしいということは、自分が会社勤めをはじめたら、もっとはっきりわかった。
そして、いま私の夫をしている人もまた、「二十四時間戦えますか」(古いか……)を地で行くようなサラリーマンである。
月曜の朝出かけたら、帰宅は金曜の夜という“出張族”。この生活は結婚当初からだから、もう六年目になる。夫婦で過ごす時間は、毎週末帰省する単身赴任者とそう変わらないかもしれない。
* * * * *
家族を思いながら、遠くで孤軍奮闘するお父さんたちを本の中に見て、思い出したことがある。
夏に北海道に行ったとき、夕張の石炭博物館に寄った。炭鉱の町として栄えていた昭和三十年代から四十年代の資料が展示されていたのだが、私はその中の一枚の写真に胸を衝かれた。
誰が誰だかわからないほど顔をススで真っ黒にした採炭員の男性が、炭坑内で昼食をとっている場面だ。彼は弁当箱の蓋をほんの数センチずらし、そのわずかな隙間に箸を差し込んでいた。掘ったばかりの炭壁から小さな石炭が降ってくるため、蓋が開けられないのだ。頭から新聞紙をかぶって食べることもある、と説明書きにあった。
その写真には男性のこんな言葉が添えられていた。
この写真ナ、オラが炭鉱やめるまで ゼッタイ人に見せんなヨ、 こんな真黒くなって、こったらとこで、 弁当のフタもとらねえで メシ喰ってるなんてオマエ、 女房や子供さでも知れたら 泣かれるベャ!
そうだナ、 オレも結婚して20年近くなるけど、 うちの女房なんか今でも、 オレ事務所にあがってから メシ喰うもんだと思ってるもんナ。
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時代は変わっても、仕事は違っても、「弁当のフタもとらねえでメシ喰ってる」ことを妻や子どもには知らせていない男性はきっとたくさんいるのだろう。仕事の愚痴を一切言わない私の夫もそのひとりかもしれない。
「立山は気温七度、山は雪が積もってるよ。雪を見たらおでんが食べたくなりました」
夫からの携帯メールは、ケンカ中でさえなければ毎日届く。返事を送るとどんどん送ってきて、十通を超える日もある。
「やっぱり一日一回は声を聞きたいなあ」なんて思ってくれるようなしおらしい人ではないし、出張生活もそれなりに楽しんでいるようだけれど、それでもほんのちょっぴりは「ひとりはツマラナイ」のかもしれない。それとも、妻に気を遣っているのかな。
そりゃあお金もいるけれど、でもね、家族にとってなによりもありがたいのは……。
健康でいることが、あなたがたの最重要任務です。どうかがんばりすぎないで。