友人を待って喫茶店で本を読んでいたら、「むっちゃムカツクねん!」という声が耳に飛び込んできた。
思わず隣りのテーブルに目をやると、私と同年代と思しき女性がふたり。周囲の客の視線を集めてしまうほど威勢のいい声を出して、それほど腹に据えかねることがあったのだろうか。
聞くでもなしに聞いていたら、一方の女性が共通の知り合いらしき誰かについて、彼がいかに身勝手でデリカシーに欠け、自分を不快にさせる存在であるかということを友人に話して聞かせているようだった。
その口調があまりに攻撃的で可愛げのないものだったので、私はてっきりそりの合わない同僚か上司の話なのだろうと思っていた。だから、「そんな人と一生やっていけるん?」という合いの手を聞いて、ページをめくる手が止まった。
ということは、さっきから彼女が「ムカツク」だの「最悪」だの「人間性を疑う」だのと雑言を浴びせていた相手は自分の夫だったのか。へええ……。
そのとき、友人が外から私の背面のガラスを叩いた。
「出るわ」と合図をして立ち上がった私はぐずぐずとイスをどかせる振りをして、女性の顔を確認せずにいられなかった。
誰かと話していて、配偶者や恋人の悪口を聞かされることほど嫌だなあと思うことはない。
そのうんざりは自慢話や惚気話をされることの比ではなく、ときには「そんな話を聞かせて、私にどう反応せよというのか」と目の前の相手に怒りが湧いてくることすらある。
私は不思議でしかたがない。どうしてあれほど得々と夫や妻や恋人を悪しざまに言うことができるのか。
三年前、大学の同窓会に出席したときのこと。十年ぶりに再会した男性に近況を尋ねたところ、離婚調停中だと言い、“失敗”の理由をとうとうと語りはじめた。妻がいかに思いやりがなく、至らない女性であるかを。
「どうしてわかってくれないのかなあって悲しくなっちゃうよ」
と彼がため息をつくのを見て、可笑しくなった。
「どうしてわかってくれないのかなあ」はその昔、私自身が彼から何度となく言われた言葉だ。そうか、あの頃の私もきっとこんなふうに、自分の知らないところで知らない女に愚痴をこぼされていたんだろうな。
「それは大変な奥さんをもらっちゃったね」
なんて相槌を打つ気にはもちろん、まったくならなかった。 (つづく)