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2005年09月02日(金) 旅館の仲居さんに心付けを渡しますか

ドイツの土産を渡そうと友人に会ったら、彼女もお盆に旅行に行っていたという。
付き合いはじめて半年になる彼と箱根に二泊してきたらしい。ふだん忙しくしているふたりなので外出は近くの土産物屋をひやかすくらいにして、部屋でのんびり過ごしたのだそう。

……ちょっ、ちょっと待ったあーー!!
「なんだ、前回と同じ文章じゃん」と戻るボタンを押そうとしているあなた、早まらないでっ。ちゃんと更新されてますってばー。
ではどうして文章を使い回しているかというと。
前回、本当はまったく別の話を書く予定だった。が、冒頭の三行のあとに「なにを隠そう、私は過去に恋人と温泉に行ったことがない」と続けたばかりに話が脱線、ああいう展開になってしまったのである。
そんなわけで、今日は四行目まで戻って軌道修正して書かせていただきます。

* * * * *

さて、その旅館で驚いたというか残念なことがあった、と彼女。
部屋に案内してくれた年配の仲居さんに心付けを渡したのだが、その女性の顔を見たのはそのときだけ。食事を運んだり布団を敷いたりと面倒をみてくれたのは別の仲居さんだったという。その人からは「さきほどはお気持ちをいただいたそうで……」といった言葉はなかったそうだ。

「部屋に案内しただけで担当でもないのに、黙って受け取るなんてありー?」
と彼女が憤慨するのも無理はない。
海外のホテルやレストランで支払うチップがサービスへの謝礼であるのに対し、心付けは「これからお世話になりますのでよろしく」という挨拶だ。ささやかとはいえなんらかの見返りを期待してするものだから、宿に着いたら早めに、それも部屋付きの仲居さんに渡さなければ意味がない。
だからもし友人が言うように、ぽち袋の中身が彼女たちを部屋に案内しただけの仲居さんの懐のみを温めたのだとしたら、客を馬鹿にしているなあと思わざるをえない。

ところでこの“心付け”、あなたはどうしておられるだろうか。
先の友人は「いつもはしないけど、今回は彼と一緒だったからちょっといい格好してしまった」そうだが、私はこれまで渡したことがない。
というのは、なんとなく卑屈な気分になってしまうのが嫌だから。
後払いのチップと違い、心付けには「お世話になります」の気持ち以外にも、「よく計らってもらおう」という下心がどうしてもこもる。もちろん、それはまずいことでもなんでもない。ただ、最近読んだ林真理子さんのエッセイに仲居さんに心付けを渡すべき理由として、「料理の運び方、ためになる情報もみんな彼女の胸先三寸。きちんと挨拶してし過ぎることはない」とあったのだが、それこそが私に“卑屈”を感じさせる部分なのだ。

予想外のちょっとした幸運に出会うたび、「これって特別?うちらだけ?」が頭をよぎるのはちょっとさみしい。散策に出掛けるときにおにぎりを持たせてくれたり、夜食に果物の差し入れがあったり、仲居さんの愛想がよかったりすることを「心付けの効果かも・・・」とはちらっとでも考えたくはない。
私は客として、サービス料込みの宿泊料金をきちんと支払う。その中で期待できるサービスを受けられれば十分。もし思いがけずなにかありがたいサービスを受けることがあったなら、そのときは「ありがとうございました」と帰り際に渡せばいい。

……というふうに私は考えているのだけれど友人もそうだとは限らないから、いつも「どうする?」と尋ねる。しかし、「そうだね、いくらか包もうか」と返ってきたことはいまのところない。


もっとも、こう毅然としていられるのは旅行レベルの話だから、なのであるが。
先日、新聞の投稿欄で「父が入院したとき横柄だった主治医は母が謝礼金を渡したとたん、えびす顔になりました」という四十代の主婦の文章を読んだ。
私も法事の席で、親戚が「付け届けしたらコロッと態度変わってね、あれにはびっくりしたわ。やっぱりしとかんと怖いよ」と話しているのを聞いたことがある。
心付けのあるなしで患者への接し方を変えるような医師は医療従事者として失格だ、なんてことはわかっているが、実際にそういう医師が存在するのが現実らしい。

友人は出産のとき、担当医に心付けを渡したそうだ。病院のパンフレットには「一切受け取りません」とあったが、気持ちだけは見せておこうと思い、差し出したところ、あっさり受け取ったという。
もちろん、ここできっぱり断るモラルある医師もたくさんいるとは思うが、こういう話をちょくちょく見聞きするということは本音と建前を別にする医師もそうめずらしくはないということだろう。

同じ「どうか手を抜かず、くれぐれもよろしくお願いします」の気持ちを込めた心付けでも、旅館の仲居さんや結婚披露宴の介添えさんに渡すそれと医師に渡すそれとでは切実さが違う。
する、しないで治療や手術の内容に差をつけられるなんてことはまさかないだろう。……とは思っていても、それを受け取る医師がいる限り、患者やその家族には心付けが“打てる手”のように見えてしまうに違いない。これは非常に酷なことだと私は思う。それをしない、あるいはしたくてもできない人たちが不安を抱くのも無理はない。
「入院、手術費用の他に心付けまで必要となれば、負担が大きすぎる。医療のあるべき姿を訴え、渡さないように言ったが、手術前で弱気になっている母は『理想と現実は違う』と言い、渡そうとした」(女性・四十五歳)
なんていう投稿を読むと、胸が詰まる。