夫が私に一枚のメモを渡す。
「はい、これが小町さんの番号とアドレスだからね」
“携帯持たず”としてここまで生きてきたが、ついにそれを持つことになってしまった。
事の顛末はこうだ。
先日、夫と食事に行くために外で待ち合わせをした。私のほうが先に着くことがわかっていたので、「○○ってカフェでお茶しながら待ってるから、来てね」と伝えていた。が、待てど暮らせど夫は現れない。週末の夕方のこととて店はだんだん混みはじめ、私は入口の前で待つことにした。
時計を見ると、このくらいには着けると思うと彼が言っていた時刻を三十分も過ぎている。いつになるとも知れぬまま待っているのはしんどい。私は駅の公衆電話に走った。
すると、聞こえてきたのは「電波の届かない場所にいるか電源が入っていないため……」のアナウンス。いったいどうなってるのよー。ぷりぷりしながら店に戻ると、夫の姿があった。
「いままでどこにいたの!」
と腹立たしげな声をあげたのは私ではなく、夫だ。ちょっとちょっと、なんで私が怒られるわけ?待たされたのはこちらなのに……と憤慨したら、夫は何十分も前に着いてテーブルのあいだを歩いて探したが、私はいなかったと言うのである。
「そんなわけないやん。ついさっきまでお茶飲んでたもん」
「でも、ほんとにいなかったんだ」
「それは『いなかった』じゃなくて、『見つけられんかった』って言うの」
「だけど、どのへんに座ってるって教えててくれなきゃ見つけられないよ!」
特別広いわけでもないその店でそんなことがあるだろうか。私はしばしば友人とそこで待ち合わせをするが、会えなかったことなど一度もない。ついでに言えば、彼女たちを見つけるのに苦労したこともない。
しかし夫は納得せず、そのうち私が携帯を持っていないことに対してぶつぶつ言いはじめた。「もしもし、どこにいる?」「壁際のテーブルだよ」ができたら互いに無駄な時間を過ごすことはなかった、というわけだ。
たしかに、私がそれを持っていたらもっと早く会えたに違いない。……でもね。
私がその店にいることは確実なのだから、私が携帯を持っていようがいまいが、本来は会えるはずなのだ。「見つかるまで探す」という基本的なことをやりきらなかったことを脇に押しやったまま、「君が携帯を持っていなかったからうんぬん」と言うのは違うと思う。だから携帯を持て、なんていうのは「痴漢がいるから女性専用車両を作りましょう」というのと同じで、対症療法に過ぎない。根本的な問題解決にはまったくなっていないのだ。
携帯を持っている相手とだって地下で待ち合わせることはあるだろう。相手のそれが電池切れしていないとも限らない。いまのままでは、そういうときにも待ちぼうけが発生してしまうではないか。
財布を忘れただの寝坊しただのといって遅刻してきた友人にクレームをつけると、「遅れるって連絡しようにも、あんた携帯持ってへんねんもん」と開き直られることがあるが、「指定の時間に指定の場所にいる」といういまも昔も当たり前であるはずのことをしない人に、どうしてこちらが文句を言われたり迷惑がられたりしなくちゃならないんだろうといつも思う。
不可抗力な理由で遅刻せざるを得ない、つまり家を出る直前、あるいは場所に向かう途中で突発的なことが起こって時間に間に合わなくなる……なんてことはそうめったにあるものではない。「待ち合わせ」という名の約束を守ることに両者がごくふつうレベルの責任と緊張を感じていれば、まず間違いなく会えるのだ。
とは思えど、最近はもうそういうのが面倒くさくなっていた。
レストランを予約しようとすれば店員に携帯の番号を教えろと迫られ、結婚式の二次会に行けば出し物に参加できないという憂き目に遭う(過去ログ参照)。友人からは「携帯くらい持ってよ」と責められ、夫には「もう小町さんとは外で待ち合わせしない」と言われる始末。
私は観念して言った。
「わかったわよ、持ちますよ、持てばいいんでしょ」
夫がいま使っている携帯の家族割引にするとかで、手配は全部彼がしてくれた。その新しい電話機が週末に届いたのであるが、軽くてピカピカ、最新機種でいろいろ便利な機能がついているらしい。
こんなの使いこなせるかなーと言ったら、夫は「違うよ、小町さんのはこっち」と自分の携帯を指差した。新品のそれは夫が使い、私は“お下がり”を使うらしい。ええー。
そんなわけで、昨日から暇を見つけては(年季の入った)説明書をぱらぱらやっているのだけれど、その操作のややこしいことといったら。半日かけてマスターしたのは、「マナーモードの設定の仕方」と「自分の電話番号の表示の仕方」だけだ。
自分がこんなに鈍くさい人間だったとは。旧機種で十分である。メールを送ったりカメラを使ったりくらいはできるようになりたいけれど、もうしばらくかかりそうだ。
【参照過去ログ】 2003年11月25日付 「携帯持たず者の苦悩」