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2005年06月09日(木) ケンカの顛末(前編)〜夫婦の終末時計

その週末、私は夫と北海道に行く予定になっていた。日曜に行われる千歳マラソンに参加するためである。
去年はフルマラソンを走る夫の応援団としてついて行ったのだけれど、今年は私も十キロの部に出ることになっていた。

とはいえ、そんな距離は一度も走ったことがない上にここ十年、運動と呼べるものといえばスポーツクラブのエアロビクスだけ。一時間躍ることができるなら、走り続けることもできるものなんだろうか。
「足きりにかかって途中で回収車に乗せられるのはかっこ悪いなあ」という気の重さと、「でも沿道で旗振りしているだけより、自分も参加したほうが楽しいよね」という期待を半分ずつ抱え、私は大阪を出発した。

……となるはずだったのだけれど。
当日の朝、問題が起こった。さあ、家を出ようという段になって、夫と口論になったのである。
原因について書くことはできないが、人が聞いたら「そんなことで揉めるか!?」と驚くに違いない、そのくらい瑣末なことだ。
しかし、私たちにとってはきわめてシリアスなケンカだった。今回だけを見るなら「なんだ、そんなこと」と軽く流せるのだが、そういう取るに足りないことで私たちはこれまで何十回と同じ展開を繰り返してきていた。
たとえば子どもの教育方針の違いとか嫁姑問題といったことに端を発しているのなら、揉めるのも無理はないと思うことができる。しかし、私たちがケンカの種にするのはいつも、テレビのチャンネル争い並みにくだらない事柄なのである。
だからなおのこと情けなかったし、根が深いということではないかとも思っていた。

* * * * *

それに加え、今回は過去のどのケンカよりもタイミングが悪かった。
事が起こったのがまさに靴を履かんというシーンだったため、ドアが開いていた。私はそれを閉めるよう言ったが、夫は聞く耳を持たない。このままではものが言えないと思い、私は部屋に引っ込んだ。
皮肉なことに、それが夫に対して未曽有の怒りを抱く結果を招いた。彼が玄関から私に向かって大きな声を出したからだ。

頭の中でプツンと何かが切れる音がした。大声の内容にではなく、ドアが開いた状態で彼が声を荒げたことに。
出がけに揉めることになったのはどちらもが半分ずつ悪い。が、仮に百パーセント私に非があったとしても、それはないだろうと思った。近所付き合いのない賃貸マンションとはいえ、ゴミを出しに行けば隣りの奥さんと顔を合わせる。スーパーで一緒になることもある。
実際に聞こえたかどうかは重要ではない。聞こえていようがいまいが、この先隣家の家族と顔を合わせるたびに「聞かれたかもしれない、ああみっともない、恥ずかしい」と心の中でうつむかなくてはならなくなったことに変わりはないから。

「なんてことをしてくれたんだ!」
もう旅行どころではない。私はソファに寝転がり、本を開いた。夫からだと思われる電話が何回かかかってきたが、出なかった(こういうところが私のよくないところだ。こうして事態をこじらせる)。

三十分が経過して、気持ちは少し落ち着いた。私はふと「終末時計」のことを思い出した。
あなたは「Doomsday Clock(終末時計)」をご存知だろうか。核戦争による世界滅亡の日を午前零時とし、そのリスクの大きさを残り時間で示したものだ。
アメリカの科学者組織が世界情勢を見て針を進めたり戻したりする。ちなみに現在時刻は午後十一時五十三分、世界滅亡七分前である。

これと同じものが私の中にもある。
もちろん、核の時計ではない。それは「夫婦の終末時計」だ。午前零時は世界滅亡ではなく、結婚生活終焉の日。
そんな、縁起でもない!とびっくりする人がいるかもしれないが、なにも「いつかその日が来るだろう」と思ってのことではない。その逆だ。ふたつの針を頂点で重ねるようなことにしないために、私は結婚したときからそれを心の中に置いている。
後ろ向きでも悲観的でもない。長い道のりを走り抜くために持っておくべき危機感ではないか、と私は思っている。

ふだんは存在すら思い出すことのないその時計をひさしぶりに手に取ってみた。
そうしたら、その針は最後に見たときよりもぐっと------これまで見たことのない位置にまで------進んでいた。 (つづく