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2005年03月02日(水) 過去ログへの執着

先日、仲良しの日記書きさんから「URLが変更になりました」とメールをもらった。
ある日突然サイトが消えたため、慌てふためいてメールを送ったのであるが、まるで私の勘違いであった。いつも玄関を通らず中のコンテンツにダイレクトに飛んでいたため、トップページに置かれていた「リニューアルに伴うサイト移転のお知らせ」を見逃していたのだ。
「そういうことだったんだ。ごめんごめん、私が慌て者だったのね」
と頭を掻き掻き、返事を送った。

さて、もしあなたが私であれば、送信を完了した時点で「ハイ、一件落着」とするのではないだろうか。しかし、これで終わらないのが私の恐るべき几帳面さ、潔癖さ。
過去ログの中に彼女のサイトにリンクしているテキストがいくつかある。それを新しいURLに変更しようと思ったのである。

しかしながら、四年以上に渡って七百本以上のテキストを書いていると、それらの日記をいつ書いたかを思い出すのは容易ではない。
彼女がサイトに登場してくれたのはすべてオフレポの中である。
「一番最近会ったのは半年前で、その前はたしかクリスマス。そのもうひとつ前は秋で、その前は・・・あれ、もうなかったっけな?」
産卵のために川を遡上する鮭さながら、私は記憶の荒波をさかのぼる。
しかし悲しいかな、何月の出来事だったかは思い出すことができても、それが二年前か三年前かはおぼろげなのだ。

この切なさは読み手の方から過去ログに感想をいただいたときにもしばしば味わう。
返事を書くためにもう一度そのテキストを読み返そうとするのだが、「そういやそんな話、書いたなあ」と懐かしくはなれど、書いた時期はきれいさっぱり忘れている。
せめてタイトルを思い出すことができれば過去ログを手当たり次第開いて・・・ということも可能なのだが、それさえ浮かばないときはお手上げだ。とても悔しい。

というのは、私は自分の書いたものをもっとしっかり把握していてもおかしくないからである。
アップしたら最後、読み返すことはない、過去ログには執着がないという書き手は多いだろうが、私はそういうタイプではない。ここ数ヶ月で書いたテキストはときどき読んでは、しつこく語尾を訂正したりする。「まっ、いいか。こんな過去の日記まで誰も読まんだろ」とは思えない。デッドリンクを含め、見つけてしまった不具合を放っておくことには耐えられないのだ。
「過去に書いたもの」として“あきらめる”ことができるようになるのは、半年くらい経ってからである。


すっかり前置きが長くなってしまった。本題は次回