俵万智さんのエッセイの中に、渡辺淳一さんの『男というもの』を読んで書いた文章があった。
その本の中で渡辺さんは男と女が初めて深い関係になる“タイミング”について、
「女性にもその気がなかったわけではないのに、なにか間が悪くそうなれなかった場合、たいていの男は二度は挑まない」
と書いておられるらしい。その部分を読んで俵さんがふと思い出したのは、ある男性とドライブをして部屋の前まで送ってもらったときのこと。
男性は家に上がりたいと言い、俵さんも彼に強い好意を抱いていたにもかかわらず、断らざるをえなかった。
「えっと、今すごく部屋がちらかってるから、今度ね」
言い訳でもなんでもなく、本当にちらかっていたのである。
しかし、彼はそれを遠回しの断りと受け取った。“今度”はついに訪れず、俵さんは「ちゃんと掃除して出てくればよかった。もし部屋が片付いていたら、彼との関係はずいぶん違ったものになっていただろうに」と悔やんだ、という内容だ。
こういう話は友人からもちょくちょく聞くが、なんてもったいない!と思うと同時に、私は不思議でならない。
だって私にはこんなことは考えられない。部屋がちらかることがないという意味ではもちろんない。家に上げられない状態に部屋を放置したままデートに出かけるというのがありえないのだ。
俵さんは「デートの前はお風呂に入ったり服を選んだりとなにかと忙しく、掃除なんかしていられない」と言うが、私にとって部屋の片づけというのはマニキュアを塗ったり靴を磨いたりするのと同列にある、れっきとしたデート支度の項目のひとつである。
私は見栄っ張りなので、「ちらかっててごめんね」と言いながら本当にちらかった家に彼を上げることはぜったいにない。つまり、たとえその夜どんなに盛り上がったとしても、部屋がちらかっていたらその先はないということ。それは自ら“今日のリミット”を設けることとイコールだからである。
これは初めてのデートのときでもそう。今日のところはそんなふうになることはないだろう、こちらにもまだそのつもりはないし……といっても、なにが起こるかわからないのが恋愛というもの。
出会って間がなくまだ形になっていない男と女の場合、予想外の展開というのが楽しみな部分でもあるわけで、その余地が残されていないというのはかなりつまらない気がする。
だから、私は「来ることはないとは思うけど……」とつぶやきつつ部屋に掃除機をかけ、自分が飲まないため常備していないコーヒー豆を買いに走るのである。 (つづく)