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2004年10月06日(水) 「私はあなたの前で無防備です」

サイトを通じて知り合った人とオフラインでも会うようになって二年ほどになるけれど、当初少しばかり驚いたのは、人が私を「小町さん」と呼ぶときの発音だ。
私はそれまで、「コマチ」という名前は最初の“コ”にアクセントがくるものと思っていた。しかし、実際に会ってみたら、アクセントなしでフラットに読む人がちょくちょくいるのだ。
発音なんてどうでもいいじゃないと言われそうだが、メールだけの付き合いだったら一生気づけなかったことである。これは面白い発見をした、と私は喜んだ。
同僚に小松さんという女性がいるのだが、隣りの課から「コマツさーん、内線何番?」なんて声があがるたび、私はぎくっとする。フラットな「コマチさん」と「コマツさん」は聞き分けがつかないくらいよく似ているのだ。
職場で私をハンドルネームで呼ぶ人などいるわけがないとわかっていても、小松さんが反応してくれるまでの数秒間は胸の動悸でフリーズしてしまう私だ。

ところで、「名前」といえば。
以前、仲良しの日記書きさんと食事に行った店で、席に案内してもらおうとレジにいた男性に「予約していた○○です」と告げたところ、友人が「へえ、そういう名前だったんだ」と言ったことがある。私はそのときはじめて、短い付き合いでもないのに一度も本名を明かしたことがなかったことに気がついた。
オフで人に会うと、よく名刺をもらえる。男性は仕事で使っているものを、会社勤めをしていない女性でも名前や携帯電話の番号を書いたお手製のカードをくれることがあって、とてもうれしい。
では私はといえば、そういうものを用意していたことがない。といってその場で「名前はなんていうの?」と尋ねられることもないので、私は相手の本名を知っているけれど、こちらのそれは教える機会がないまま現在に至っているというケースが多い。
だから、ときどきふと思う。ネット用とばかり思っていた名前が実は本名だった(下の名前をそのままハンドルネームとして使っている人はかなり多い)と知ったあと、たとえば「クミコさん、こんにちは、小町です」といつものようにキーボードを叩くと、変な感じがすることがある。
あちらは本名、なのにこちらはハンドルネーム。なんだかひどくアンバランスな気がして、水くさいんじゃないだろうかと自問してしまうのだ。
もちろん、本名とハンドルネームが同じであると知った人すべてにそれを感じるわけではない。実生活において「友人」と「親友」の位置づけが違うように、ネットの世界で出会って親しくなった人にもその差は存在する。
私にとって、本名とは「素顔」だ。誰にでも見せられるものではないけれど、ばっちりメイクをした顔だけでなくスッピンも知っておいてほしいなあ、と思う人も中にはいて。
本名を知らせたからといって、「今日からそっちで呼んでね」という話ではない。たとえるなら、「留守中に来ることはないだろうから必要ないのはわかってるんだけど、いちおう渡しとく。……持っててっ」と合鍵を強引に彼の手に握らせるような感じだろうか。
旧姓がめずらしいものだったため、私はありふれた姓に変わったいまでも見ず知らずの人に名前を知られることには敏感だ。加えて、実生活の知人にサイトバレすることをなによりも恐れている。
そんな私がごく限られた人に対してであるとはいえ、求められてもいなければ差し当たって必要もない本名を知らせたい衝動に駆られることがあるのは、百万言を費やすより「私はあなたに心を許しています」「私はあなたの前で無防備です」を伝えられるような気がしているからだろう。

読み手の方とやりとりを重ねていくうちに、届くメールの末尾の署名がだんだん厚みを増してくることがある。
初めましてのメールにはハンドルネームが記載されているだけだったのが、じきにURLが案内される。ここまではよくあることだが、ときに本名や携帯電話の番号が添えられたり、仕事用の署名が使われたりすることもある。
その人たちが「今後は本名でどうぞ」とか「電話してね」というつもりでそれらの情報を加えたわけでないことは承知している。だから私も返事の中でそのことに触れたりはしないけれど、実はひそかにぐっときている。

【あとがき】
「コマチ」をフラットに読むのは、いまのところ全員女性です。そのうちのお一方が今日の日記を読んで、「実は私も同じことを思ってました。小町さん自身が“コ”にアクセントを置いているのを聞いて、私の発音間違ってるのかしらーって」と教えてくれました。あはは。
このサイトももうすぐ開設四周年を迎えます。メールでは何千回も「こんにちは、小町です」を書いてきて、この名はすっかり私のものになっていますが、口に出して名乗ったり、誰かからそう呼ばれるのを耳で聞くと、いまでも少し照れくさい感じがします。