2004年07月21日(水) |
「コンプレックス」が厄介な理由(後編) |
三十万円の入会金を払って結婚相談所に入会した友人がこのところ、「話が違う」「こんなはずじゃなかった」としきりに愚痴る。
月に何度も開催されると聞いていたカップリングパーティーは応募者多数のため毎回抽選で、ちっとも参加できない。「うちは結婚できない方が入るシステムではなく、きちんとした方がさらに良いお相手を見つけるためのシステムなんです」が謳い文句なのに、紹介されるのは「……」な人ばかり。
そんなわけで彼女は最近、“間口”を広げた。設定していた条件の中の「身長は百六十五センチ以上」を削除し、さらに出身大学を「不問」にしたのだ。
そうしたら紹介数は倍になった。が、その代わりプロフィールを読んで唖然とすることも増えた。身長欄を見ると〇・五センチ単位で記入してある、最終学歴欄の「△△大学」のあとに「○○大学を志望していたが、実力を発揮できず……」「家庭の事情により進路を変更し……」などの一文が添えられている、といったことは条件を緩める前には見られなかった現象だという。
懸命なのはわかるが、潔くない。人が劣等感を抱く事柄はいろいろあるが、「身長」と「学歴」は恋愛や結婚を望む男性にとってコンプレックスの双璧を為すものなのかもしれない、と思いに耽る私。
根深いコンプレックスを持つ人とだけは結婚すまいと思っていた。悩みよりさらに下層にあるのがコンプレックスだ。容姿や性格、学歴に起因するそれはそうたやすく克服できるものではなく、一生抱えて生きていかねばならないことが多い。
それが厄介なのは、コンプレックスというものが短所やウィークポイントの自覚ではなく、自己否定だから。「他人と比べて自分は劣っている」という思いは人を卑屈にする。
誰かを否定したくなったり、他人の話に素直に耳を傾けられない自分がいることに気づいたりしたときは、胸に手を当ててちょっと考えてみるといい。“面白くない気分”の根源に劣等感か嫉妬心が存在することを発見するに違いない。
コンプレックスを刺激されると人は不快な気分になる。たとえば自身の恋愛経験に引け目を感じている人は、概して他人の恋の話を聞きたがらないものだ。
深刻なコンプレックスを持たない人は天真爛漫で、他人に対しても寛容である。中には傲慢になる人もいるかもしれないが、「人間は外見じゃない」「勉強ができるからといって頭がいいとは限らない」なんてことを声高に叫ぶのは、たいてい容姿や出身校に劣等感を抱いている人だ。多くの人にとってそんなことは言うまでもないことである。
なにかをことさら強く否定したり嫌悪したりすることこそ、自分がそれにひどく執着し、囚われていることの証なのだ。
あらためて自分にも言い聞かせよう。
【あとがき】 「コンプレックス」と「悩み」は似て非なるものだと思うのです。コンプレックスは悩みが進行して劣等感を生み出すに至ってしまった段階、という認識です。悩みは人に相談して解決することがあっても、コンプレックスは「自己否定」だから、プライドが邪魔して打ち明けることさえむずかしい、というような。軽いコンプレックスはひとつやふたつ誰でも持っていると思うけど、重度になると厄介です。性格にまで影響を及ぼすから。 |