仕事帰りに立ち寄った百貨店で、こんな店内放送を聞いた。
「白いお靴をお履きになったリナちゃんとおっしゃる五歳のお子様がお母様をお探しになっておられます。お心当たりの方は一階サービスカウンターまでお越しください」
“放送洪水”のおかげですっかりザルと化してしまった私の耳だが、この迷子アナウンスにだけはいつも敏感に反応する。それは私が子ども好きだから、ではなくて、呼び出しのフレーズが耳に引っかかるから。右から左へ、音声がスムーズに通り抜けてくれないのだ。五歳の子どもと「お履きになった」「お探しになっておられる」という言葉の組み合わせは不釣合いに思えてならない。
「白い靴を履いたリナちゃんという五歳の女の子がお母さんを探しています」
のほうがすっきりしてずっと感じが良いと思うのだが、「お客様は神様です」の国では客からクレームがつくのだろうか。
最近、男がすれ違いざまにベビーカーにタバコを投げ捨て、生後四ヶ月の赤ちゃんが軽い火傷をしたというニュースがあったが、偶然その場に居合わせたという中年の女性がテレビでそのときの様子を語っていた。
「赤ちゃんは泣いたりとかはなさってませんでした」
大人が敬語の使い方を知らないばかりに、世の中には「愛子さま」がいっぱいだ。
「さま」といえば、昨日同僚から面白い話を聞いた。
彼女が通っている歯科医院では、患者は「様」づけで呼ばれるのだそうだ。といっても、鈴木様、田中様、ではない。「患者様」と呼ばれるというのである。
「駐車場にも患者様用って書いてある」と彼女が言うのを聞きながら、そういえばと思い出したのは、少し前に読売新聞で読んだ記事。医療現場での「様呼び」について書かれたもので、「九十年代半ば頃から医療の質を向上させる取り組みの一環として、『患者さん』ではなく『患者様』と呼ぶ病院が増えてきた」とあった。
私はうーんと首をひねった。その言葉の不自然さ、「様」をつければ丁寧になるとでも思っているのだろうかという疑問もさることながら、もし自分が深刻な病気を抱えた患者であったらと考えたとき、医師や看護師に「患者様」と呼ばれることを歓迎するとは思えないからである。
耳慣れなくて、なんて理由ではない。過剰な敬意の表現は距離や壁を感じさせるものだ。不安も悩みも打ち明けたい、信頼関係を築きたいと思っている相手から「様」づけで呼ばれたら、一線を引かれている感じがして不安になるのではないか。気弱になっている患者が望むのは形だけの敬称などではなく、密なコミュニケーションと医師の「一緒に闘いましょう」という気持ちなのではないか。
そして、もうひとつの危惧。それは、「患者様」は患者に自分たちが「客」、すなわち営利の対象とみなされているような、媚びを売られているような印象を与えるのではないか、ということだ。
「医者は治療の技術を売って金を稼ぐ商売だ」と財前五郎は言った。たしかにそうだが、それを患者に感じさせてしまうのはどうか。
記事には「様呼び」を採用しているいくつかの病院のコメントが載っていた。
「医療現場もサービス業。これまでそういう認識がなかったのがおかしい」
「サービス精神を大切にし、一流ホテルのフロントのような対応を心がけています」
が、私はこれらに頷くことができなかった。
「金八先生」は現実にはいないとわかっていても、子どもの担任に「教師もやっぱりサラリーマンなんだなあ」を感じる瞬間があったら、やはり私はがっかりするだろう。それと似て、病院が「商売」であること、医師や看護師の中に「(患者に)サービスしている」というニュアンスは感じ取りたくない。それは「お金」を連想させるから。「先生」と呼ばれる立場の人には私たちが安心して頼れるよう、温かさと自信、そして奉仕の心を持っていてほしい----そんな思いが私の中にある。
病院は百貨店やホテルとはちがう。苦楽を分かち合い、ともに病気と闘う医師と患者のあいだで「様」は必要ない。やはり「患者さん」がいい。
……それに。「待ち三時間、診察三分」の不満の声が消えることはないし、最近は「ドクハラ(ドクターハラスメント)」なんて言葉も耳にする。そのあたりがちっとも改善されないのに「様」だけつけられてもね、と鼻白む人も現状では少なくないのではないだろうか。
【あとがき】 これも新聞のコラムに載っていたのですが、最近は百貨店やホテルで「ここにお名前様をお願いします」「お名前様をお伺いできますか」なんて言い方がされることもあるそうです。何にでも「お」や「様」をつければいいというものではないと思うのですけどね。 |