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2003年07月04日(金) 「共有」がもたらすもの

会社帰りの人で賑わう梅田のデパ地下を歩いていたときのこと。ある店の前を通ったら、「でしたー!」という元気のよい声が耳に飛び込んできた。
振り返ると、帰り支度をしたアルバイトとおぼしき男の子が店から出てくるところだった。忙しそうに立ち働いているほかの男の子たちが早上がりする彼に向かって、口々に「でしたー」「でしたー」と声をかけている。
その光景に、私はとてもうれしくなった。むかし、私はその店で一年半ほど働いたことがある。新卒で食品メーカーに入社した私と百人の同期は、まず「現場」であるところの全国の百貨店の中にある自社店舗に販売実習に出されたのであるが、私が配属されたのがその店だった。
そして当時、そこで日常的に使われていたあいさつ言葉のひとつに「でした」があったのだ。
それは、お疲れさまでしたの略。一足先に上がる人が「お先に失礼」の意味で「でした」とあいさつすると、ほかのみなも「(お疲れさま)でした」と返す。
誰が流行らせたのか、いつから使われているのかを知る者はいなかったが、社員もアルバイトも当たり前にそれを使っていた。その店で働く人間のあいだでしか通用しないその符丁は、なにかこう一体感のようなものを覚えさせる不思議な言葉だった。
あれから八年近くたつ。いっしょに働いていた人たちは誰ひとり残っていないけれど、あの言葉だけは受け継がれていたんだな。
そう思ったら、前を行くコック帽と前掛けを外した男の子の肩をぽんと叩いて、「でした!」と声をかけたくなった。

糸井重里さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』というサイトの中に、「オトナ語の謎。」というコーナーがある。
あなたのまわりにもプライベートで使うことはまずないのに、ビジネスシーンでは日常的に口にする言葉や表現があるのではないだろうか。オトナ語とはそういった、まるで社会の常識のような顔をしてオフィスを飛び交う謎めいたビジネス会話のことだ。
たとえば、
ざっくり見積もって四千万ですね」
「この項目はマストです」
「では、早速現場に落とし込みをして……」
「じゃあ営業と制作にも加わってもらって、せーので始めましょうよ」
「営業さん、ここはひとつ泣いてもらえませんか」
「なんとかお互いハッピーになるような形をめざしてですね」
ほかにも「叩き台」「すり合わせ」「前倒し」「ネゴる」「ウェルカムです」「仲良しクラブじゃないんだから」などなど、思わず「ある、ある!」と声をあげたくなるものがわんさか。
私は企画部門にいたので、よく営業から「夏はどんなタマが出てくるの?ぜひともウルトラCを頼むよ」なんてプレッシャーをかけられたなあと懐かしくなってしまった。
人は仲間内でしか通用しない言葉や特定の環境下でしか使われない言い回しを口にするとき、なぜかそれを理解する人たちとの連帯が強まったような気がしたり、テンションの高揚を感じたりするものである。

……のだが。
ニュースを見ていたら、プロ野球オールスター戦のファン投票で、嫌がらせ投票によって一位が確定した中日の川崎投手が出場辞退を発表した、と伝えていた。
騒動の発端はインターネットの掲示板。「サボリ選手を球宴一位に」の呼びかけに、おもしろそうと乗った人間がたくさんいたらしい。そのうちのひとりが、
「みんなでなにかしてありえない結果つくるのって、なんか楽しいじゃないですか。全国に同じこと考えてる仲間がいるんだなとか思ったら」
とインタビューに答えていたが、奇妙な共犯意識が彼らを“団結”させたのだろう。
「はじめ十位ぐらいに名前があがったときは、故障で一昨年から一軍登板していないけど応援してくれている人がいるんだなとうれしかったが、事態を知って悔しい思いをしています」
本当に気の毒な話だ。
「一部の人間にしか理解できないなにかを共有している」は親密さを増すのに貢献するが、ときに好ましくない形で人を結びつけてしまう危うさもはらんでいる。

【あとがき】
他にも「さくっと」「投げる」「ブラッシュアップ」「キックオフ」「ペンディング」など、それ使うよねえ!と頷いてしまうものがたくさんあっておもしろい。よかったら「オトナ語の謎。」のぞいてみてね。