二ヶ月ぶりに友人に会ったら、また一段とふくよかになっているような気がした。
親しき仲にも礼儀あり。十年来の友人といえども、「太ったんとちがう?」なんて発言は本来タブーなのであるが、彼女は年がら年中、先シーズンに買った服がもう着られないだの、くしゃみをしたらウエストのホックが飛んだだのと騒いでいるため、私もつい軽口を叩いてしまう。
「そうやねん。先週末、長野の白骨温泉行っててんけどな、混浴やから備えつけのバスタオルを胸に巻いて入らなあかんねんけど、なんと届かんかってん」
そのバスタオルはおそらく小さめの、スポーツタオル並みの長さだったのだろう。それにしてもバスタオルが巻けないなんて、そんなことがありえるのか、あってよいのか。
彼女は以前、わが家で夕飯を食べたとき、その見事な食べっぷりで夫を驚愕させたことがある。豪快に麦茶を飲み干し、大盛りのカレーを元気よくおかわりするその姿に圧倒された彼が「よく食べるね……」と口走ったところ、彼女はにっこり笑ってこう言った。
「私、ごはんは別腹なんですう」
彼女が帰った後、「果物やケーキならともかく、ごはんが別腹っていったいどんなおなかしてるんだ」と激しく動揺していたところを見ると、相当ショックだったようだ。
こんなキャラクターの彼女は現在彼氏いない歴三十一年を爆走中なのだけれど、最近年下の同僚に恋をした。
聞けば、職場ではかなり親しく話す間柄らしく、先日彼女は冗談めかしてではあるが、メールの中に「私のこと、好きですか?」という一文を入れてみたのだそう。すると、翌日届いた返事にはこう書かれていた。
「全般的には好きです」
これには大ウケしてしまった。彼女は「これってどう解釈すべき?」と真顔で尋ねるが、どこの世界に恋愛感情を抱いている女性に「全般的には」なんて答え方をする男がいるか。
そのフレーズには傷つけまいとする苦悩、それ以上言ってくれるなという牽制の跡がにじみでているではないか。かわいそうに、彼は一晩さぞあたまを悩ませたにちがいない。
おおらかな性格の彼女には異性の友人が多い。そして、その中には憎からず思っている男性も何人かいるのだけれど、残念ながら彼らにとって彼女は友達以外のなにものでもないらしい。
彼女は不満そうに言う。
「『君の頑張り屋さんなところが好き』とは言ってくれるけど、『頑張り屋さんの君が好き』とは誰も言ってくれない……」
両者は一見似ているようで、その意味するところはかなり異なる。口をとがらせる彼女をよそに、「うまいこと言うもんだなあ」と私はしみじみ感心してしまうのだ。
ラジオを聞いていたら、福山雅治が失恋したばかりというリスナーの女の子からのハガキを紹介していた。
「おまえといる時間の一秒一秒、全部が退屈なんだ」と言われてフラれたという内容だったのであるが、私は「こんなユニークな三行半ははじめて聞いた」とうっかり感動してしまった。そして、福山が彼女をなぐさめるどころか、「秒単位で退屈ってことは、彼にとっては殺人的なつまらなさだったってことだな」とコメントしたものだから、堪えきれずに笑ってしまった。
同じNOを伝えるにしても、「気持ちが冷めた」「飽きた」といったありきたりな言葉であったなら、「彼女、気の毒にねえ」となるところだが、この表現にはユーモアがある。私自身は手垢のついたつまらない言葉でしか振られたことはないけれど、もしこんなふうなオリジナリティあふれるセリフで別れてくれと言われたら、すっかり感心してしまい、黙って頷いてしまうのではないかしら(……そりゃないか)。
だけど、男の人ってなんておもしろいことを考えるんだろう、かわいいなあと思わず目を細めてしまうことは、たとえばweb日記を読んでいてもしょっちゅうある。
【あとがき】 バスタオルが届かなかった彼女。しかし、せっかくの露天風呂に入らずに帰るわけにはいかないと、めいいっぱいバスタオルを引っ張り伸ばして、後ろ向きに湯に入ったんだそう。「ひえー、勇気あるね」と言ったら、白骨温泉というだけあって湯は真っ白だから中では巻いていなくても支障がないこと、濡れればタオルは多少伸びるはずだという計算があったらしい。「入ってしまえばこっちのもんだと思って」と得意げに言う。そんなことにあたま働かせてないで、ちょっと痩せなさい。 |