仕事場では毎日席が替わる。その日、私の机は部屋の一番奥の窓際の、いわゆる“お誕生日席”だった。
そこから入り口に向かってずらっと連なるテレコミュニケーターたちの横顔を眺めながら一日仕事をすることになったわけだが、ふと手前から三つ目の席に座っていた若い男の子に目をやったとき、私は息を呑んだ。
額から鼻の頂点、くちびるから顎、のどにかけての流線が優しく繊細で、はっとするほど美しかったのだ。正面から見る分にはどうということのない顔なのに、真横から見たらものすごく端正だった。
人の顔というのは角度がちがうとこんなにもニュアンスが変わるものなのか、と私はすっかり驚いてしまった。
すぐさま隣の、やはりお誕生日席に座る同僚を肘でつつく。
「あの子、すごくきれいな横顔してない?」
どれどれと私の後ろに立つ彼女。
「そう?べつに普通でしょ」
が、私はしばし見惚れたあと、つぶやいた。
「キスしてみたくなっちゃうなー」
彼女には「欲求不満とちがうか」と笑われたが、そんなに変なことだろうか。ほどよく筋肉のついた男性の二の腕を見て、抱きしめられたらどんな感じかしらと想像してみることはないか。自分より大きくて骨ばった手を見て、つないでみたいなあと思うことはないか。
……え、ない?そう、でも私はあるの。
ドラマでも漫画でも、キスシーンは必ずといってよいほど横からのアングルで描かれる。「キスを誘うくちびる」というのはよく耳にするフレーズだが、きれいな横顔を見て、うっかりキスしてみたいと思ってもちっとも不思議ではない気がするのだ。
横顔なんて自分のも他人のも気をつけて見たことがない、という人が大半ではないだろうか。
女性なら日に何度も鏡をのぞくであろうが、三面鏡で横からのチェックも怠らない人はいったいどれだけいるか。似顔絵が得意な人でも、横顔を思い出して描けといわれたら、至難の業ではないだろうか。
かく言う私も横顔に無頓着なひとりであるが、それにはこちらが思っている以上に「その人」を伝えるものがあったんだと気づいたのは、昨年友人と中国を旅したときのことだ。
上海のとある公園で紙切り芸のおじさんに出会った。紙切りというのはシルエット、つまり人物の横顔を切り抜いた影絵のこと。おじさんが私たちを見て、手招きをする。「かわいいクーニャン(お嬢さん)、そこにお掛けなさい」と言ったかどうかは知らないが、私は値段の交渉もせず、椅子にストンと腰掛けた。
彼はあざやかなハサミさばきで黒い紙をちょきちょきとやり、所要時間一分で私のシルエットを完成させた。が、これがおもしろいことに、自分ではいくら眺めてみてもその出来ばえがどうなのか、つまり似ているのか似ていないのかがよくわからないのである。私はそのときはじめて、自分の顔といえど真横から見る機会がいかに少ないかを実感した。
その影絵がおそらくものすごくよくできていると確信したのは、友人のそれを見せてもらったときだ。彼女のシルエットそのままだったからである。私のを見て、友人も「すごい!そっくり!」と歓声をあげていたし、夫も「へえ、うまいもんだね」と感心していたから、実際に上出来だったようだ。
影絵といえば、もうひとつ思い出がある。
自然消滅という最悪の終わり方をした恋があった。二年半、互いに誰といたときよりも密度の濃い時間を過ごしたはずだったのに、気がつけば音信不通になっていた。
その彼から突然メールが届き、一年ぶりに彼の部屋を訪ねたとき、真っ先に私の目に飛び込んできたのは壁にかかった一枚の影絵。それはディズニーランドで記念に作った私の横顔のシルエット。付き合っていたとき、彼はそれを部屋に飾ってくれていたのだが、それが当時のままそこにあった。
そっか、一年ぶりだと思ったけれど、私はずっとここにいたんだな……。
そう思ったら、一からやり直せる気がした。
……ん?
そういえばあの影絵、どこに行ったんだろう。長らく見かけていないけど。
まさかこの家に引越してくるときにポイしたなんてことはないでしょうね。夫が出張から戻ったら、聞いてみなくちゃ!
【あとがき】 すてきな手している人を見て、つないでみたいとか思いません?私はすごく思いますよ。いや、いまはつなぎませんけど。好きとかそんなのではないから、好奇心かな。どんな感じかしらっていう。 |