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2003年05月12日(月) ボウリングの思い出

土曜日は以前いた会社の先輩、A子さんと梅田で待ち合わせ。
彼女とは年が六つも違うが、同じプロジェクトに参加したのをきっかけに意気投合、私が退社してからもしばしば食事したり旅行に出かけたりする仲なのだ。
ちょっとリッチにイタリアンのコースランチに舌鼓を打ちながら、今春の人事異動や社員の退職、結婚ネタなどの情報提供を受け、大いに語らう。やめてから二年半も経つのにいまだにそんな感じがしないのは、こうして彼女が社内のゴシップを逐一教えてくれるからだろう。
食欲とおしゃべり欲が一段落したところで場所を変える。いつもならカラオケとなるところだが、少々食べ過ぎた私たち、腹ごなしにボウリングでもしようかということになった。
ボウリング場なんて何年ぶりだろう。新入社員の頃、親睦を深める名目で同期と来たのが最後だから、かれこれ九年ぶりである。
「負けたほうがこのあとのお茶を奢ることな」
とA子さん。いいですねえ。私、ものを賭けた勝負には負けませんよ。かくして、『茶茶』のケーキパフェを賭けた戦いの火蓋が切って落とされた。
ルールブックを見ると「女性は10〜12ポンドを目安にボールを選びましょう」などと書かれてあるが、本当なんだろうか。試しに10ポンド(4.5kg)に指を入れて持ち上げてみたが、重すぎて腕がもげそう。重量的には8ポンドがしっくりくる気がしたのだが、悲しいかな、穴に指が入らない。やむなく9ポンドをチョイス。
しかし、この500gの差は思った以上に大きかった。手首にかかる負担が大きく、ほとんどコントロール不能になった。毎回のように厄介な位置のピンを残してしまう。
「7番と10番のスプリット(ピンが離れて残っている状態)なんかぜったい無理やん!」
後ろでニヤニヤしているA子さんに叫んだら、「もしあれを倒したら、今日のボウリング代、私が持ったげる」と返ってきた。
やったねと小躍りしながら、「あれ、この感じ、いつかどこかで……」と首をかしげたら、懐かしい記憶がよみがえってきた。
大学時代、仲良しの男の子とボウリングに行ったときのこと。やはりスプリットを出した私。「あれ倒したら、なんかいいことあるかな?」といたずらっぽく言ってみたところ、彼は「お、ええよ」。
「わーい、じゃあセブンティーンアイスを……」と言いかけたら、彼が笑顔でこう言った。
「スペア取ったら、キスしたる」
ひゃああ。心の中で身悶えする私。だって、彼のことずっと好きだったんだもん。彼には地元に幼なじみの彼女がおり、私は長く友人の座に甘んじていたのだが、ついにチャンス到来?
なのに、なのに。私の口から出たのは気持ちと正反対の言葉だった。
「ちょっと待ってよ、それのどこが“いいこと”なのよ」
当時まだまだ純情だった私は動揺を悟られまいと思わず憎まれ口を叩いてしまったのだ。
なんともったいないことを……。今の私なら、「よっしゃあ、ぜったい倒す!」と宣言、床に這いつくばって板目を読み、ボール三つくらい抱えてレーンに向かったであろうに。
で、結局どうなったのかって?
やっぱりちょっと煩悩が強すぎたみたい……。ボールはふたつのピンのあいだをゆうゆうとすり抜けて行きましたとさ。

休憩なしで二人で五ゲームはさすがにきつかった。勝負にはかろうじて勝ったものの(AVG.110というきわめて低レベルな戦いであったが)、パフェのスプーンを左手で持たねばならなかったほど腕はガクガク、週が明けてもまだ鉛をぶらさげているようなダルさが残っている。
でも、やっぱりボウリングって面白いな。大学時代は近所のボウリング場に毎週のように出かけていたことを思い出してしまった。
そうそう。今年の夏は大阪でオフ会をしたいなあと思っているのだけれど、チーム対抗ボウリング大会っていうのはどうかしら。負けたらオフレポでなにを書かれるかわからないから、日記書きのメンツをかけて死闘を繰り広げるの。あら、いいじゃない。
で、うんとおなかを減らしたら鶴橋へGO!ホームに降り立つともうニンニクや煙の匂いが漂ってくる大阪のコリアンタウンで、焼肉をつつきながらうんと劣情を刺激する話をしようではありませんか。
もし宿泊組がいらしてリクエストがあれば、翌日USJにもお付き合いいたします(年間パス持ってるもん)。

【あとがき】
ボウリングに行くと、男性と女性の腕力の差を感じますね。ピンが倒れるときの音が全然違うもん。ピンを倒すというより破壊するって感じだもんね。ふだんはパッとしない男の子が実はすっごく上手だったりして、「あらま(素敵)」なんてこともあったような。10年ほど前、私が学生時代に足繁く通っていた頃は、スコアは今みたいにコンピューターが計算してくれるのではなくて、自分たちで手書きしていました。懐かしい。