エアロビクス好きの人はナルシストの要素を多分に持っている。
……と言ったら、全国のエアロビ愛好者に怒られてしまうだろうか。しかし、その気がなければ体の線も露わなウェアを着て鏡に向かって躍る自分を一時間も見つめていられるわけがないと思うのだが、どうだろう。
もっとも、この手の自己陶酔はモチベーションを保つのに貢献するし、人様に迷惑をかけるものでもないので、大いに結構。毎回最前列を陣取る私も、もちろんそのひとりである。
さて、今日はうれしいことがあった。いつも同じレッスンを受けている少し年上の女性と初めて話したのだが、彼女に「インストラクターを目指しているのかと思ってた」と言われたのである。
彼女はエアロビ歴十五年の大ベテラン。そんな人に言われたものだから、「滅相もない!」と首をぶんぶん振りながら狂喜してしまった。
結婚してからというもの、自分のなにかを「認められる」ということがすっかりなくなっている。
夫は妻を褒めたりねぎらったりしない人だし、派遣社員の身の上では仕事を評価される機会もない。生活の中で、誰かから「がんばっているね」とか「よくやったね」と声をかけられることはほとんどない。
こんな私にとって、心が温まる言葉をもらえるなけなしの場がこのサイトである。
「いつも読んでます」
「お気に入りに登録しました」
「リンク張ってもいいですか」
いただいたメールの中にこれらの言葉を見つけると、書きつづけてきてよかったなあとしみじみ思う。
そしてもう一種類、私をハッピーにしてくれるフレーズがある。
それは、「今日の日記を読んで考えてしまいました」とか「私とは意見が違うなと思う日もありますが……」といったもの。とくに後者は初めての方からメールをいただくとかなりの確率で書かれてある。
人が書いたものを読めばなにかしら感じるものだが、それはトンカチで膝を叩けばビクンとなるのと同じで、反射に過ぎない。しかし、読み手自らもう一歩踏み込んで「考えて」くれることがあるとしたら、こんなに光栄なことはない。
人はある日記をブックマークするかしないかを決めるとき、その書き手が自分と考え方が似ているかどうかにどのくらい左右されるものなのだろう。「この人とは価値観が違う」と思えば、自動的に「読まない行き」に振り分けられるのだろうか。
私の場合、書き手と意見が合うかどうかは読みつづけるか否かを判断する材料にはほとんどならない。私が「これは読まない」とするのは、この書き手とはお友達になりたくないと思ったときだけだ。
共感できることの多いテキストのほうが心穏やかに読むことができるのはたしかだけれど、私はそれよりも書き手がどれだけ「自分」を持ってそれを書いているかに注目する。「それは違うんじゃないの」と思っても、主張の根拠がしっかりしていたら、それも一理あるかもと頷くこともある。思いも寄らなかったわと感心することもある。
だから、自分が書くときも同意見の人は少ないだろうと予想できても気にせず書く。それで何人かの読み手を失ってもしかたがない。
先日、日記の中でちょっとしたアンケートを実施したところ、たくさんの方がご協力くださった。
回答の中には、私の眼中になかった部分について言及したもの、新しい視点を与えてくれたものがいくつもあった。自分の視野の狭さ、思考の浅さ、経験不足を再認識するのはこういうときだ。つくづくありがたく、また私には必要な機会だと思う。
だから、メールアドレスを公開していないサイトを見かけるともったいないなあと思う。どんな理由があるのかわからないが、読み手の反応を受け取らないのは果実の一番おいしい部分を食べずに捨てているのと同じだもの。
あ、そうだ。ついでに言っておこう。
たまに、言いたい放題書いた末に「返事はいりません」と書いてあったり、受信拒否設定をしているのか、返信できないようにしてあるメールが届くことがあるけれど、そういうのやめてね。フェアじゃないの、私好きじゃないの。
【あとがき】 うれしい言葉をもらったときは心の引き出しに大切にしまっておきます。たまに思い出してはハッピーな気分に浸って自分自身に栄養補給するのです。 |