週末のスーパーは家族連れで大にぎわい。レジにも長蛇の列ができており、キャッシャーの店員もてんてこ舞いだ。
しばらく待ってようやく次は私の番というところまできたとき、さきほど会計を済ませた若い女性が惣菜のパックを手に戻ってきた。そして、レジ真っ最中の店員に「ちょっと。これ、値引きされてへんかってんけど」と声をかけた。
彼女はレシートを突き出し、「二割引きとちゃうの」と憮然とした表情。店員は会計途中の客に断りを入れ、レシートを確認しはじめた。
私はその一連のやりとりを「私にはできないなあ」と思いながら眺めていた。会計を待つ大勢の客が見つめる中、数十円を取り戻すためにキャッシャーに手を止めさせる度胸は私にはない。サービスカウンターで処理してもらおうと考える。
しかし、私に「できない」とつぶやかせたのはそのことではない。彼女の店員に対する言葉遣いである。
自分が客の立場のとき、相手が誰であろうが“タメ口”で接する人は少なくない。タクシーに乗り込み、「駅まで。急いでよ」とか、レストランでウェイトレスに「ちょっと、水ちょうだい」とか。私にはこれができない。必ず「駅までお願いします。急いでください」「お水いただけますか」だ。
敬意を表して、なんておおげさなものではない。見ず知らずの人間とのあいだに適切な距離をキープしようとする気持ちから自然に出てくるていねい語だ。明らかに年下であっても、初対面の相手には「です、ます」である。
先日、夕方に再放送していた『GTO』をちらっと見た。漫画が原作のドラマだけあって、ストーリーは破天荒なものであったが、ひとつだけ妙にリアリティがあったのが生徒たちの言葉遣いだ。
女子生徒 「オニッチ、ひどいよ、それじゃあヨウコがかわいそうだよおっ」
男子生徒 「そうだよ、ちょっとはアイツの気持ちも考えてやれよ!」
鬼塚先生 「っせえ!おめえらは黙ってろ!!」
通勤電車の中で高校生の会話を聞きながら、「この子たちは学校でもこの調子で先生にも話しかけているんだろうなあ」と想像することがある。そして、いまどきの先生はそれを注意することもないのかもしれない、とも。言っても無駄だと思っているのか、「友達のような先生」を目指しているからなのかはわからないけれど。
生徒を「おめえら」呼ばわりする教師は極端にしても、『3年B組金八先生』でも金八は生徒を下の名前で呼び捨てしていたし、教師が生徒と接するときのスタンスは私の頃とは明らかに違うようだ。
教師が聖職という時代は昔の話。教師というだけで尊敬すべきだとは思っていない。しかし、敬語というのは相手に敬意を表すためだけに遣われる言葉ではない。「目上である」「立場が違う」という事実がある以上、生徒が教師に敬語を遣うのは当然ではないか。
え、心の通い合いが大切なのであって、言葉遣いは問題ではないって?
そうだろうか。小さな子どもに電車の中でおとなしくしていることを覚えさせるのと同じように、大人が若者に目上の人への口のきき方、けじめを教えるのもれっきとした教育のひとつだ、と私は思う。
テレビをつければ、宇多田ヒカルや浜崎あゆみといったハタチそこそこの女の子が相手かまわずタメ口トークを繰り広げている。彼女たちにとってそれはキャラを立てるための戦略のひとつであろうが、一般人が真似ても「常識知らず」と笑われる種にしかならない。
教師と生徒間の信頼や親近感といったものは、タメ口によって培われるものでも維持されるものでもない。教師がそれを指導しないのを怠慢とは言わないだろうか。
誰彼かまわずタメ口で話す風潮は、相手との適切な距離を測る能力を衰えさせ、分をわきまえること、相手を立てる気持ち、謙虚さといったものを人から奪っていくのではないか。そのうち「長く生きてりゃえらいわけ?」なんて言いはじめ、年配者へのいたわりや敬いの心までなくしてしまうのではあるまいな。
先日、私は職場に新しく入ってきた二十代のアルバイトの男の子が顧客と電話で話しているのを聞いて、ひっくり返った。
「じゃっ、そういうことで!(ガチャン)」
ひえー。あなた、なんてクローズの仕方をするのよ。
「え、だめっスカ?気さくな感じの奥さんでしたよ」
そういう問題じゃなくて……と言いかけて、サラリーマン川柳にこんなのがあったなと思い出した。
「まじっスカ スカがついてて ていねい語」
まさかとは思うけど。彼らはあれでていねいに話しているつもりではない……よねえ?
【あとがき】 昨日、「小中高生の保護者の77%が最近の教師は自分たちのころの教師と違い、『威厳がなく子どもと友達感覚で接している』『サラリーマン化している』と不満を持っている」というニュースをやっていました。まあ、私は「教師の変化より保護者の変化のほうが先だったんじゃないの?いまどきは親に叩かれたことのない子どもだって少なくないだろうから、体罰なんてとんでもないわけで、そりゃあ教師が萎縮してしまうのも無理ないよ」と思っていますけど。私は自分の子どもの教師がタメ口を許すような“友達先生”だったらイヤです。教えるべきことはちゃんと教えてほしい。 |