2003年02月07日(金) |
すべを残しておくということ。すべを断つということ。 |
歩道橋は残っていた。彼をなじり、泣いて別れた場所。二十一歳だった。 あれから二十六年がたった一九九八年、彼は「ここで別れたのだから、もう一度ここからやり直そうか」と橋の上でプロポーズ。A子さんの目から涙があふれた。
|
結婚相談所の広告の文句ではない。これは先日朝刊の家庭欄に掲載されていた、現代の夫婦模様を取りあげた記事の書き出しである。
ふたりは高校の同級生。交際五年目の二十一歳の夏、渋谷の歩道橋でA子さんが「結婚したい」と彼にプロポーズ。が、彼の返事は「大学があと一年残ってる。待ってくれないか」だった。
「うんと言ってくれると信じていたのに……」
傷ついた彼女は二度と彼に会おうとしなかった。音信も途絶え、二十五年が経過したある日、A子さんは彼の妻が病で急死したことを知る。彼女の母親が今もなお、彼と年賀状を交わしていたのだ。
「お悔やみを言わなくちゃ」
懐かしさのあまり、A子さんは自分にそう言い訳をして彼に電話をかけた。ふたりはその後まもなく二十六年ぶりに再会、冒頭で紹介した記事に続く……というわけである。
このドラマのようなストーリーを読んでつくづく思ったのが、人とのつながりをむやみに断ち切ってしまってはいけないんだなあということ。
この場合は彼女の母親と彼が年賀状のやりとりを続けていたことがふたりに再会をもたらした。失ったのがどうしてもあきらめられない人であるならば、いつか気持ちを抑えきれなくなったときのために何かひとつ“すべ”を手元に残しておかなければならないのか……。
独身時代に使っていたHotmailのアカウントは、いまやほとんど死にアドレスだ。それでもひと月に一度はサインインし、溜まりに溜まったダイレクトメールを処分している。
今回も膨大な数の未読メールにうんざりしながら、英文タイトルと「未承諾広告ナントカカントカ」だらけの画面をスクロールしていたところ、ふいに現れた「元気ですか」の文字にマウスを持つ手が止まった。
差出人の名前を見て、心臓がドクンと音をたてた。二十二のときに別れた彼だった。
私はこの人が本当に好きだった。愛情という名の栄養の供給が止まっても、彼への気持ちは何年も枯れなかった。それでも、別れてからは一切の連絡を断った。三年前に突然「結婚します」とメールが届いたとき、「私ももうすぐです」と返信したのが最後の音信だった。
「どうしていますか。このアドレスまだ使ってるかなと思い、メールしてみました」
どうしたんだろう、なにかあったのだろうか。気づくのが遅れたことを詫び、近況を書き送ると返事はすぐに届いた。
彼は元気だった。心配していたようなことはなにもなさそうだった。なぜか急に懐かしくなったから、と書かれていた。
それならよかった。そうつぶやきながら読み進め、私は追伸の一文に胸を突かれた。
「実は君が結婚をやめてたり、離婚してたりすることをちょっと期待してました」
とあった。
こういう感情はいったいなんなんだろうなあ、とぼんやり考える。もはや自分が相手の人生に関わることができないことは彼もちゃんとわかっている。もとよりそれを望んでいるわけでもない。
それなのに、どうして「あの頃のまま、ひとりでいてくれたら」なんて期待をしてしまうのだろう。どうして彼女の幸せを祈ってやることができないのだろう。
おそらくは。「彼女の『一番』はいつまでも自分だ」「彼女は俺を風化させない」「いつでも受け入れてくれる」------そんな彼の自信がこの独占欲のような幼稚な気持ちを生み出したのではないか。
でも、私は気を悪くしたりはしない。「自分から手離しといて」とも思わない。人間ってそういうものだと思うから。やっぱり自分本位で考えてしまう、心の弱い生き物。
愛する人が自分以外の人と結ばれ、幸せになろうとしているのを一片の曇りもない心で祝福できる人がいったいどれだけいるだろう。この世で一番大切な人を思うときでさえそうなんだから、「誰かの幸せを心から願う」というのがそんなに簡単なことであるはずがない。
Hotmailのアカウントは四ヶ月間サインインしなかったら抹消される。
彼からメールが届いたのは暑さの残る秋口だった。私の手の中に彼とつながるすべはもうひとつもない。
【あとがき】 冒頭に紹介した新聞記事の話。再会した時点ではA子さんにはうまくいっていなかったとはいえ夫がおり、そちらと離婚して彼と結ばれた……というわけなので、完璧な美談というわけにはいかない。けど、一度きりの人生、幸せにならないとうそだから。 |