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2003年01月18日(土) 匿名希望

私は新聞の投書欄がとても好きだ。朝刊は真っ先にその面を開き、丹念に読む。思うところあればここで取り上げ、いい話だなあと胸打たれれば切り抜いてとっておく。
投書欄の魅力は何といっても、競争率十倍以上という難関を突破して採用されるだけあっていい文章が多いことと、執筆者が日替わりのため何年読み続けても飽きがこないこと。
下は中学生から上は八十代のおじいちゃんおばあちゃんまで、限りなく幅広い立場、年齢の方の考えや経験に触れることができるという点も、web日記にはない良さである。

さて、今朝の新聞にその投書欄のあり方についての興味深い記事が載っていた。匿名採用の是非についてである。
事の顛末はこうだ。これまで編集部は「原則として実名掲載」という方針のもと、匿名希望者の採用は月三、四通に抑えてきた。しかし昨年の十一月、試験的に内容だけで採用を決めたところ、匿名掲載が十四通にのぼった。そして急に増えた「匿名希望さん」に驚いた読者から賛否両論が寄せられた、というわけだ。
結論から言うと、私は匿名採用を肯定的に受けとめている。批判的な意見の代表として、
「なぜこれほどに“匿名”でなければ発言できない日常があるのか、と悲しい気持ちになる。投稿が何百万人の目に届くのは怖いことだ。公に発信すれば、当然いろんな方々の反響があるだろう。しかし、それを謙虚に受け止め、応えるのが書いた人の務めではないだろうか」
という六十歳の女性の文章が紹介されており、他にも「社会的な力になりにくい」「愚痴としか思えない」「卑怯なのでは」といった指摘があった。
しかし、夫婦や嫁姑の問題、仕事や恋愛の悩みなど、まじめに生きていても身近な人に相談するのがためらわれる話が生まれることはある。そして、それらこそ人が誰かに聞いてもらいたいと切実に願う話であるのではないか、とも思う。同じように人知れず苦悩する人たちが勇気づけられることも少なくないはずだ。
実際、私は感情移入して読みながら泣いてしまうことがあるのだけれど、そんな日はかなりの確率で「匿名希望さん」である。
「匿名だと信憑性に疑問がある」という意見もあったが、そこのところは信じようよと言いたい。
web日記めぐりをしていると、「この人は自分の書くものを“作品”として見ているんだな」と感じることがよくあるが、投書欄を読んでいてそんなふうに思ったことは一度もない。彼らはいたって無欲に見える。彼らにペンを取らせるのは、注目を浴びたいという下心でも、どう評価されるのだろうという興味でも、いいものを書きたいという野心でもなく、純粋に「私の話を聞いてほしい」ではないかと思う。
そんな人たちが匿名を利用し、脚色してまで話を面白おかしくしてやろうと考えるだろうか。
投書欄のなによりの魅力は、さまざまな経歴や経験を持つ人たちの人生を垣間見ることができる点。
名を伏せて投稿するのは、家族や同僚、隣人といった人たちに書き手を特定されると、生活に支障が出たり誰かに迷惑がかかったりする恐れがあるからなのだ。「名も明かさず発言するのはずるい」と言われたら、投稿者は減り、話題の幅もずいぶん狭まってしまうに違いない。読者としてはそんなつまらないことはない。
記事の結び。「今後も内容最優先で採否を決定。必要に応じて匿名も認める方向で」を読み、ほっとしている。

【あとがき】
投書欄の競争率はかなりすごいみたい。うちは毎日新聞なんですが、十数倍だそうで。ハイ、私も何度も落ちてまあす。そもそも短文苦手な私が600字以内でロクなものが書けるわけないのよねえーと開き直り。ちなみに今日の日記、1800字超してます。