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2003年01月09日(木) セックスレス

「ねえさん、お久しぶりです。お元気ですか」
そんな書き出しで始まる一枚の年賀状。何度も読み返しながら、私は胸に熱いものが込みあげてくるのを感じていた。
私のことを「ねえさん、ねえさん」と慕ってくれた、会社員時代の後輩。彼女から相談があると食事に誘われたのは、私が結婚退職する少し前のことだった。
いつになくよそよそしい素振りにいい話ではなさそうだなと思っていたのだけれど、彼女の口から出てきたのは意外なひとことだった。
「彼に結婚したいって言われたんです」
失恋したのか、はたまた会社を辞めたいのか、とドキドキしていた私は思わず叫んだ。
「付き合ってもうけっこうなるもんなあ。おめでとう!」
するとどうしたことか、みるみるうちに彼女の目に涙があふれてきたではないか。
「ちょっとちょっと、なんで泣くわけ。バンバンザイでしょうが」
「わからないんです。彼と結婚してもいいのか」
「どういうこと?」
「私たち、三年も付き合ってるのに一度もしたことないんです」
「なにを?」
「……セックス」
彼女はぽたぽたと涙をこぼした。苦心してそういう雰囲気に持っていっても、彼はいつも途中でやめてしまうのだという。いくら理由を尋ねても話してくれない。自分に魅力がないからなのかと泣いて問うても、「そうじゃない」の一点張り。
それ以外の部分では何の不安もない相手だから、別れることは考えられなかった。そのため、「どうしてなの?」は考えないようにしてきた。
しかし、いまそれに向かい合わざるを得なくなったのだ。

「どうしたらいいんでしょうね。もう疲れちゃいました」
こんなデリケートでシリアスな問題に、同じ苦悩を経験したことのない人間がアドバイスなんてできるわけがない。
ただ、私ならきちんと話してもらえるまで結婚は決意できないと思うと答えた。こんな大切なことをうやむやにしたまま彼を生涯のパートナーに選ぶなんて、そんな勇気はない。
「一度も試さないまま結婚して、もしそっちの相性が悪かったらどうするの」なんて話ではない。私はからだの相性というものをそれほど重要視していない。
セックスというのは「手料理」と似てはいないか。もしあなたが男性なら、手料理を食べさせてくれた歴代の彼女を思い出してみてほしい。「愛していたけど、料理はどうしても口に合わなかった。受けつけなかった」という女の子がいただろうか。そんな経験をお持ちの方は多くないのではと思う。なぜなら家庭での食事において、食べる者の満足度を高めるのは料理の腕ではないから。
テーブルにふたり向かい合い、たわいもないおしゃべりをしながらとる夕食は幸せに満ちあふれたものではなかったか。彼女の真心は最上のソースとなり、素朴な献立がプロをしのぐ味に感じられたこともあっただろう。
「料理は愛情」というが、私にとってセックスも同じ。好きな相手となら、たいていはおいしくいただける。そういう意味では私は“グルメ”にはなれないけれど、それは不幸なことではない。
では、なにが結婚を決断させないか。
こんなにも長いあいだ、恋人を苦悩の中に置いておくことのできる残酷さ、無神経さにたまらなく不安を感じるから。それらは今後の生活のあちこちにも顔を出すのではないか、という思いを拭い去ることができない。
「彼にとって私は女ではないのか」という思いが女をどれほど不安にするか、みじめにするか。幼稚園の先生を目指していたほど彼女が子ども好きなことを知らないはずはないだろう。結婚を口にするならなおさら、彼にはそれを説明してやる義務がある。
「どうなるかわからないけど、がんばってみます」
彼女からそう告げられたのは、私が会社を去ってまもなくのことだった。

あれから二年。私の元に届けられた年賀状には、穏やかな表情で微笑む彼女と聞きしに勝るハンサムな彼、そして赤ちゃんのスリーショット。
「念願のママになりました。ぜひ会いに来てやってください。ねえさんに話したいことがたくさんあります」
彼女の腕の中の小さな女の子の寝顔を見ながら、思わずつぶやく。んまあ、立派な眉がパパそっくりじゃないの。
よかったねえ、よかったねえ……。
今度会ったら文句言ってやろう。年賀状に泣かされたのなんて初めてだわよ。

【あとがき】
彼女に性的魅力がないという可能性は考えられなかったんですね。見た目も気立てもよくて、実際社内の男性からも人気のある女の子でしたから。こんなかわいい子としない、もしくはできないということは、彼にはなにかシリアスな問題があるのではないかと思いました。たとえば、以前付き合っていた女の子を妊娠させてしまってトラウマになってしまったんじゃ……とかね。
でもほんとによかった。彼女はよくがんばった。